1959年2月2日の夜。ソ連領ウラル山脈北部で以下の男女9人が行方不明になった。
・ディアトロフ
・コルモゴワナ
・ドゥビニナ
・コレヴァトフ
・スロボディン
・クリヴォニシチェンコ
・ドロシェンコ
・チボ=ブリニョール
・ゾロタロリョフ
山での遠征という事で捜索要請は遅れ、20日に救助隊を送り、2月26日に半分に引き裂かれた彼らのテントが発見された。
中には彼らの荷物がまだ入っていたそう。
また周囲には「9つの靴下の足跡」「片足だけ靴を履いた足跡」「裸足の足跡」が、近くの森に向かって続いていた。
その森のはずれの木の下で、『クリヴォニシェンコ』と『ドロシェンコ』の死体を発見した。
彼らは下着姿で靴を履いていなかった。
そこには焚き火の跡があり、また木に登った形跡があった事からしばらく二人は生きており、何かを探していた事が窺える。
また捜査を進めると、その木から「300メートル」「480メートル」「630メートル」
の間隔で『ディアトロフ』『コルモゴロワ』『スロボディン』の3人の遺体を発見した。
どの遺体も姿勢的に彼らのテントに戻ろうとしていた様子であったという。
『スロボディン』の頭蓋骨には小さな亀裂があったが、これは致命傷ではないという。
残りの4人、『ドゥビニナ』『コレヴァトフ』『ゾロタリョフ』『チボ=ブリニョーリ』は2か月後に発見された。
彼らはその木から75メートル先にある渓谷の中で、4メートルと積もった雪の下から発見された。
この4人は他の人よりもまともな服を着ていて、どうやら最初になくなったメンバーの服を拝借していた様。ドゥビニナの足には何故かクリヴォニシェンコのウールのズボンに切れ端が巻かれていた。
『チボ=ブリニョール』は頭部に大きな怪我を負っており、『ドゥビニナ』と『ゾロタリョフ』の2人は肋骨を骨折していた。
また『ドゥビニナ』はなぜか「舌」を失っていた。
この2人の損傷は、交通事故にでもあわないとしえない怪我だったという。
また驚くべきことに外傷は負っていなかったという。
低体温になると逆に身体が暑く感じ、服を脱ぐという「矛盾脱衣」というものがある。
前半の5人はそれの恐れがあったが、後半はどうなのか。
また、調査によると半分に引き裂かれたテントは『内側から切り裂かれて』いたという。
この怪事件にはいろいろな憶測が飛び交い、「軍の実験」「核関連」「超常現象」
「UFO」などがあるが、一般的、当時のソ連では「雪崩がおこした悲劇」と伝えられている。
しかし地面に彼らの足跡が残っていたことから雪崩の可能性は無いと推測される。
また他にこの事件の不可解な点を挙げてみると
・後半3人は謎の致命傷を負って亡くなった
・テントが内側から裂かれていた
・火傷を負った遺体があった
・舌、眼球を損失した遺体がある
・彼らは食事をとってから6~8時間後に亡くなった。
・彼らは自ら進んでテントから離れた
・何人かの服に高い濃度の『放射線汚染』が認められた
・彼らの肌が『濃い茶褐色』になっていた。
・事件の日、事件発生地点周辺で、『夜空に奇妙なオレンジ色の光球』を目撃したという報告が多数あった。それは後に大陸間弾道ミサイルだったと証明されている。
・軍がこの地域を利用していた
・テントにはカメラが残されており、現像してみると日常風景の他、最期に判別は難しいが、『光体』のようなものが映っていた。
これらを基づいて考えられるシナリオとして、
「雪崩が起き、テントが潰される。メンバーはパニックに陥りテントを裂いて脱出。しかし慌てていたため靴や服を失ってしまった。氷点下の中故に低体温症、また極度の疲労に陥り意識損失。後半亡くなった4人はそのせいでその場所に人里離れた場所であるにも関わらず助けを求めて移動し、谷に落ちた。」
というのが妥当だと言える。
確かに肌が茶褐色なのは低体温の為、骨折や頭蓋骨損傷も谷への落下の影響だとするとなるほどどういう事かと納得出来るが、しかし『放射線』となると一気に怪しくなる。
それに『眼球、舌の損失』はどういう事なのか。
もっとファンタジーかつ全ての合点が合うように言うと、
「その日空を舞ったミサイルは放射線を纏っており、そのミサイルの弾道にいた彼らに何らかの影響を及ぼした」
というものが打倒では無いだろうか。
しかし放射線の影響で肋骨を折り、眼球や舌を損失することがあるのだろうか。
前代未聞の怪死事件。
国(ソ連)は捜査の深追いを意図的にさせずに短期で切り上げたという。
なにか国として都合の悪いことがあったのか。
いつかこの怪事件が解明される日が来るのだろうか。
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