1181.「曇りだね」「甘い事言うな大雨だ」そう言う友人は濡れた靴下を脱いでいた。私の休みにはよく雨が降り、雨の日には必ず友人から電話が来る。そんな時、私は特別な青い紅茶を出す。硝子越しに泳ぐそれはプラネタリウムの星々や水族館の魚の様で、紅茶の香りに包まれた私達は緩やかに休日を愛していく。
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1182.列車の食堂で、私は一人、白い皿に乗った大きなエビフライを眺めていた。右にはナイフ左にはフォーク、突き刺し、切って、タルタルソース、口を少し傷付ける衣、咀嚼。窓の外は海だった。見ると喪服を着た魚達が泣きながら泳いでいる。そこで私は、これはこの海老の葬式なのだと気が付いた。
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1183.鈍い悪夢のような曇空の下、整えられた草木と古びたコンクリートの建物が並ぶシャッター街の中で、一軒灯りがついていた。入ると誰も居らず、其処にはただ一つ、レモンケーキが鎮座している。光はそれだったのだ。ちかちかと瞬きは香りを付け、外へ溢れてゆく。どうも此処は、夏を明ける店らしかった。
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1184.止まった私の寿命は銀細工の華奢な腕時計だった。輪廻の為死神に連れられ訪れたその修理屋の壁には本棚とカップが並ぶ他に一つ、解剖された懐中時計の標本が飾られていた。「それかい?それは、一番最初の仕事でね」と顔の見えない修理士が言う。額縁下のラベルには『Adam』と一言綴られていた。
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1185.月面の古代パレスにて独りぼっちの少女が隠れんぼをしている。角を曲がった少女の袖を一昨日の少女が追いかける静かな世界は殆ど亡霊の様で、永久機関じみている。白青と黒色が制する世界、探さないといけない何かが思い出せなくて、廊下奥の電話室に佇むダイヤル電話だけが、記憶に影刺す様だった。
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1186.友人が右手を失った。どうも昨日の流星群にて掴んだのが彗星で、そのまま右手を奪い去られたいう。その夜私達は梯子と虫取り網を持って例の彗星を捕まえに出た。ぐらぐらと揺れる梯子を支えてもらい、やっと捕まえた網の中には夏色をした青い結晶と、それを掴む友人の、真白になった右手が入っていた。
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1187.楽園の隅で腐り果てた天使の死体からサンカヨウが咲いている。だから夜の初めに建国された透明な同一少女達の皇国の旗にはサンカヨウが記されていたのですが、街の誰かが欠伸をした為消滅してしまい、その跡地にはただ永遠が残るのみです。革命に取り残された私の空には、彗星が最高速度で飛んでいく。
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1188.回廊がある。内側と外、二つ形の回廊。窓がある。二つ。内側に面した廊下と、その奥と。二つ窓を通した先に花が見える。箱庭。知らない花が一輪。私は周る。窓、窓、窓、には、誰か見えた。ずっと前から知っている知らない人。目が合う、だけ。私達は周り続ける。ただ少しだけ、何かを祈る。宇宙の端。
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1189.砂漠のさいはてに咲く水蓮から、月が一つ生まれ出た。命が生まれたらしかった。私は夏の海へ飛び込んで、マッコウクジラの林で夜更かしをする嬰児に、月を一つ差し上げる。真新しいそれは仄かに金木犀の香りがした。水面の空には今日も死者達が、月を返しに星となって、月へと飛んでいくのが見える。
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1190.君が月に篭ってからどれ程経っただろうか。君が登った扉のない塔の周りには遊園地が出来て、私は今、世界一高いというジェットコースターのレーンを辿っている。やっと着いた頂上にて突風が吹き、私は月から伸びた君の手に宙ぶらりんで、夜の静かな街には、君に宛てた手紙達が、鳥の様に舞っていく。
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