881.「パキン」と君の小指が僕の元へ転がった。夕陽に照った断面には輪を描く赤瑪瑙が詰まっていた。「宝物だ」転んだ君を尻目に僕はそれを掴み逃げだした。
それ以来君は小指に絆創膏を巻き、結婚葉書も同じだった。何となく愚かしいそれを捨て、僕は箱を開ける。小さなままの小指は、今も変わらず美しい。
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882.彼は声が出ない。
『昔、夢で誰かに盗られたんだ』
変だよね、と彼はノートに付け足した。
なんだ、彼だったのか
夢の中にて、宝箱から流れるのはころりとした宝石の様な歌声だ。ずっと大事にしていたが、仕方ない。
翌日、朝一の電話にて喋る歌声を初めて聴いた。彼に似合う、私のよく知る声だった。
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883.そこは秋の夕暮れだった。
緑色の夜の中、浮いているのは古い服装の少女だ。「死ぬ数分前で、今は夢を見ているよ」と魔女は答えた。よく聞くと寝息が聞こえる
「彼女は不幸で、それでも生きたいと願った」だから拾って一番好きな時間にしまったの。そう言って魔女が流した涙は、恐らく一つの愛だった
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884.『拝啓、神様』と綴った手紙は今はどこにあるだろう。祭で買ったプラスチックの宝石の指輪も、ずっと連れ添ったぬいぐるみも、道で拾った一番白い小石も、知らない音の聞こえた貝殻も、きっと月の裏側へしまい込んだ。
ただ今や私は月へと登るはしごを失くしてしまい、彼らを懐かしむ事しか出来ない。
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885.月の砂に埋められた記憶は、凡そ脆くなっており、掘り起こすと『思い出された』と寂しく笑って砕けてしまう。
「ここは寒いから」
白銀の地平線と宇宙の真っ暗闇に照らされて鉱石と輝く記憶達の思い出を、僕だけは覚えていようと掬うけど、ただ遠い昔の、僕の探している記憶を僕は忘れてしまった。
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886.「水面に綺麗なものが散っていたので月だと思い縫い合わせた所、何処かの少女の哀しみでした」
交番に届けられたのは瓶詰めの光だった。拾得物かしらん、そも少女とは生きてるかしらん、「もし持ち主が現れなかったら下さいな。僕がいつか必ず届けます」碧い晩に交わした指切りは、少年の瞳に託された。
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887.名前だけを持つ君の形見はそれだけで、丁度それは花の名だった。その花は昼の星の様に咲いているが、だが愛する人はいる様で、机を撫でる程の軽さに小説や俳句に咲いている。
だから私は君を探して本を開く。もう君の声も目の色も思い出せないが、今度会ったら君の名前の話を沢山しようと思う。
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888.夜は寂しがりやの為の時間で、涙に住む魚達が月の重力に導かれ、空を泳ぎます。私は涙を流さない寂しがりやを知っている。君には鯨が住んでるね。大きくて、涙ほどの海では空へ出て行けない、等身大の、君に寄り添う鯨。いつか自由にしてあげてね。月にはかなしい者たちが住む、涼しく静かな海がある。
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889.「貴方が落としたのは、この哀しい蛍石ですか?それともスズランの泡粒?粉砂糖の寂しさ?金木犀の星空?十一月の夕空?世界の余白?月光の博愛?香水瓶の残り香?星までの定規?スノードームの果て?いちごのケーキ?銀の喇叭?」
『なんてことだ、湖に身投げした君が、散れ散れになってしまった!』
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890.ポラリスに串刺された夜、僕は楽園へ置き去りにされてしまった。滑稽なビー玉に埋め尽くされた地面の本心は水槽で、顔色の悪い楽園と君のいるどこかならば、君のいる世界の花を愛したい。座標0に鎮座する、林檎に僕は口付けた。『左様なら』振り返ると、既に楽園は天を見上げ、今ではもう美しかった。
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