891.胸ポケットから出したのは、丁度コイン程の、金ぴかに輝く満月であった。『むこうへ行く前に、君にあげたくて』そう言って背を伸ばし、カチリと僕の三日月の隣に並べた。
目覚めると僕は机に突っ伏していた。
書きかけの小説に完を書いて、ふいと外を見ると、青光る未明の奥に、月が二つおっこちた。
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892.私の地平線は君で、触れてしまう危うさがある。「君は私の苗字より、自由の方がうんと似合うよ」この一言が愛ゆえ言えず、曖昧に画数の話をする。君が私を好きだと勘違いする程に私の愛は浮かばれず愛、迷、と夏の夜程の微温さに漂わなければならない。冬風よ、私を幸福から一番遠い所に埋めてくれ。
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893.電話しようとした時に相手から電話が来る事がある。シンクロニシティというのだが、思い出す前に僕は出た。「どうしたの?」『あぁ、明日暇?』思わず笑ってしまった。僕の内容と全く同じだったのだ。その事で二人笑い合い、暫くして電話を切った。
明日は地球最後の日。
君と過ごすにはもってこいだ。
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894.最高密度の透明はイノセントを装い、どこか遠くで踊っている。「本当は弾ける瞬間が一番美しい」そう述べるしゃぼん玉達の存在意義は不特定多数の少女達と同一で、ぱちんと弾ける音は髪を切る音と似ている。乱、と質量のある虹が頬を撫でた。それは高次元に独りきりの、喪失ない透明からの同情だった。
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895.0+1が1になる条件を考える夜。ある所に独り林檎がいるとして、認識者がいなければその林檎は0なのです。どれだけ赤く、腐り引き裂かれていようとお前は知覚外に溶けるのさ。
夜、暗い、道。街灯は、俯き、私達は、黒く溶ける。泣こうが、笑おうが、煙草の、火は、ひどく、赤い
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896.鏡の自分が哺乳類に見えた時から、やわやわと崩壊は始まっています。私の人口は数十匹で、名前のある哺乳類が数匹です。勝手に幸福に生きろ。掬い取った海は果たして海なのか、鏡の夜空は夜なのか、君の涙は君なのか。月光に似た距離、叙事詩を切っ裂く刃物が見つからない。
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897.泣いて眠れぬ夜、真白なお月様がやってきた。「寂しい君に薬をやろう」そう言い渡されたのは三日月マークの入ったラムネだ。口に放ると寒い程に薄荷の味がする。「これは月光。劇薬さ。安眠か、安楽死か」意識の飛ぶ間際、そんな優しい声がした。
翌朝目覚めた僕は、最近多い不審な凍死を思い出した。
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898.月の似合う夜だった。
蓮の瞳を持つ君は、奇く僕に流し目を差し込んだ。誘われ行くと其処はある草原で、切った光を散らして走る夜行列車が走っていた。それもとびきり小さな列車だ。ポコンと流星が煙突に飛び込むと、甘い煙を勢いよく吐き出した。
「凄いもんだね」すると悪友は『ニャア』と笑った。
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899.私が私の少女にしてやれる事はもうこれで全てです。スカート、着物、りぼん、ぬいぐるみ、水着、背丈、トイレの標識、高い声、仕草、恋心…
箪笥の中に眠る私に、愛せなかったありったけの乙女を入れる。
電気を消して、おやすみ。
貴女に一番素敵な夜をやろう。
春の暖かな、月の鳴る夜を。
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900.月の鳴る夜、縁側に向け頭をあげると花が一輪佇んでいた。それは箱庭の真ん中にすっと立つ、一輪だけの月下美人だ。影を見るとそれは花では無く少女の形をしていた。私は「少し待って」とショパンを流し、彼女の手をとりワルツを踊った。気付くと花はもう居らず、花の柔らかさだけを唇が知っていた。
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