821.私達がまだ少年だった頃、台風が来てはよく一緒に川を見に行った。これは私達は永遠で、死が遥かに遠く、だからこそ命を持て余しての事だった。使い切りのサーカス員と変わりない。
だが今はどうだろう、寿命が見え、命が惜しくてたまらない。私は怯え、友は自然に興味を無くした。私達は老いたのだ。
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822.私の街はよくずれる。気付くと知らない路地や道が増えたり閉じたりしているのだ。夜は更に不安定で、不意に誰かの夢に入ってしまう。
或る夜、知らない路地を見つけた。
遠くに光る星に誘われ入ると、次第に一面が銀の星に覆われ、私は私の手の中に立っていた。どうやら自分の夢に迷い込んだらしい。
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823.涙に生けた切り花は、蕾の中に海を作った。それは確かに塩辛く、陽の沈むままの海であった。
「この海、案外悪くないぜ」いつ住み着いたのか、泳いでいた一匹の人魚が『神様!』と私に大きく手を振った。
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824.永劫回帰の回廊にて窓から射し込む情景は、トラウマよりも優しく、無花果のように私に巣食う。全てが重なる。響くように、反射し、鳴り止まず、それは多数の私に同等で、単色に突き刺す。その景色はこの世に無い。私の純白、憧れ、懺悔室だ。窓に咲く一輪の薔薇が秘めた気持ちは私のみが知る。
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825.シラー効果を得た曇り空は、どの空よりも揺れている。月と曇りの違いは何なりや?月光の目の合わぬお喋りと曇り空の沈黙は互いに絶え間なく、平行に続いてゆく。白夜月は雲に紛れ、尤も平面に眠っており、それは誰の目にも映らない。立体を畳んだ先に安寧も、物語も、神様もあるのだろう。
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826.ある式同士が同じ解になる様に、私には、海と宇宙とソーダ、夜と薄荷水とラピスラズリ、月光と曇り空と月長石、月と少年、無限と少女、蛋白石と願い、涙と真珠、土星と蒸した木の香り、などは全て同じようなものであり、片方を思い出すともう片方も思い出します。
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827.誰かが殺したクックロビンたちは、薄荷によく似た水色の、透き通った不特定多数の同一おばけとなり、夜、皆が眠る中、月光を避けて浮遊します。勿論これは誰かのみた夢のお話で、一度作られた世界は確定され、永遠の箱庭となり、沈まぬ夜、嗚呼確かに二度と誰の手にも届かない所にあるのです。
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828.窓ガラスの水滴で作られたモザイクの先に赤い人影が写っていたので拭いてみると姿は無く、いつのまにか赤く染まった雑巾から『入れた』と声がした。
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829.水の塊の様に表面の震える透明な何かがあり、そこから散ったスペクトルは並行世界や夢、鏡によく似ている。その一つ一つの輝きは物語を秘めており、中には悪夢もあるだろう。断片的で似通った輝き、瞬きの様に永遠な世界が細切れに生きている。この水の塊の大きさは神様にしかはかれない。宇宙の外側。
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830.薄い紙袋を破き、風呂に夜を流し込む。さらさらと波音に惚けているとトポンと音がし、月が出た。それは満月で黄蘗色よりも薄く光っていた。
夜は深い炭酸の香りとほんの少しの薄荷が混ざり、夢の狭間を思い出しそうになる。微睡む中、零した赤いワインが夜に流れ、新たな銀河になるのを見た。
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