761.春、その桜の上には花魁姿の女性が現れる。誰も届かない、桜の中で茫と枝に座っているのだ。私は物言わぬ彼女を見るのが春の恒例となっていた。
今年その桜が切られた。
よくある話、桜の下には古い骨が埋まっていたという。
無名の墓に桜の落枝を添えた時、やっと彼女と目が合った気がした。
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762.その月長石は卵の様な形をしていた。
重たく、不思議にひやりと肌に吸い付く。
ぱきん、と軽い音がした。
月長石が割れたのだ。
「ふわあ」と声がしただろうか。中から煙の様な何かが上がってゆく。覗くと中には何もなく、重さも先程とは変わり軽いものとなった
「幽霊の卵だったのだ」祖父はそう語る
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763.銀の器と白磁の器に水を張り、夜の下へと置く。静まった水にはやがて星空が収まった。
この二つに映る夜を私に下さい。
何も持たぬ少女はそう願い、草原へ横たわる。
少女が眠ったあと、その器には青銅色の孔雀が映った。それは彼女の夢にいた孔雀で、器の夜空はとっくに彼女のものだったのだ。
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764.「かれは しじん だったのです」
枕元にて狸が言った。
「どうか かれを わすれないで」
鼻をすすり狐が言った。
布団にいたのは掌ほどの石だった。
自然によく馴染む石だった。
気付くと私は山の開けた場所におり、ただ其処には不自然に盛り上がった地面と、手には宛先のない訃報があるだけだった。
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765.永遠に近いもの
月光の博愛
砕けたエメラルドの残響
隔離された水の陽
心に住まう死者の幻影
林檎
有明の月の沈黙
アメジストの照らす夜
孤児が喪服姿で見る夢
義眼の語らぬ思い出
少女入りの琥珀
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766.永遠、が崩壊した
朝焼けは熱く溶け、脈は地を這い、体を飲み込む
目を開けたのだ
夜という神の情に良く似た瞼裏は開き、動、動と生命を震わせる
項垂れる私を最後の夜風が撫ぜる
起きねば、産まれねば、
空はもう手の届かぬ処で笑っている
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767.夢のあの子はいつも顔を蝶で隠していた。「私は夢の深いところだから」と紫色の蝶々達が散る奥で彼女は言った。私は少しでも彼女を覚えようと手を繋ぎ遊び、そして眠りから帰る間際、彼女が蝶を一匹私に寄越した。
今では彼女の姿も手の熱も思い出せないが、夜になると何処からか紫の蝶が現れる。
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768.うたた寝をしていた彼女が歌いだした。それは古い曲調で、聞き馴染みのない言葉。異国のような、異国になる前のような、神秘めいた秘密を帯びている気がした。
歌い終わったのか、丁度口が閉じた時、彼女が目を覚ました。
「とても長い夢をみていた気がする」
そう言って一つ、透明な涙を零した。
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769.その廃屋敷には炎がいる。
魔術師が灯してそのまま、消えよの命がないのでずっと灯っているという。「私はまだ待っているのです。主人の帰りを…」そう言い炎は昔話を終えた。
翌日また話を聞きに向かうとそこに炎は居なかった。その代わり炭の中に、炎によく似た琥珀が一つ、返事の様に艶いていた。
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770.月光の博愛と対峙する時と、プールにて無音の心地よさに死を任せたくなる時の感覚はよく似ている。
水と月は博愛に尽き、私は彼らにとって数多の一に過ぎない。決して目の合う事はない。先生の愛する名の無い生徒でしか無いのだ。煩悩を払った末に欲望を見るように、愛に包まれた時完璧な孤独を見る。
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