ショートショート 741~750

741.薄荷水の瓶が、窓際の、青白くなったテーブルに置かれていた。

『誰かが置いたのかしらん』

見渡しても私一人きりで、側にある薄檸檬色の手紙を見ると「寂しく思ったのです。お一つ共に」と書かれていた。窓の外には手紙によく似た色の穴が浮いている。

薄荷水は程よく体に溶け、丁度夜に似ていた。

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742.空の白は不穏を奏で、夜の延長線、朝までの執行猶予によく似ている。海と空は溶け合い、ひとつの余白となる。全てが平面になった様だ。音は曇り、僕に届かず、電線の綴る詩はおそらく読者が読み解くだろう。眩しい程の曇天は、いずれ僕を溶かすのだ。それはきっと百年後で、表裏に溺れたすぐ側にある。

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743.詩集を振ると、中から琥珀似の小さな月がひとつ、手のひら程の海がひとつ、少年を待つ少女がひとつ、初めを知るエメラルドがひとつ、それと透明な余白がぱらぱらと落ちてきた。

それらはころり転がると、香水のように薄い香りを残し消えて行き、詩とはやはり煙、霧、雲の次に来るものなのだと知った。

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744.夜の穴から垂れる何万もの青銀色が探しているものは、本物の月長石です。それは月の愛し子で、隕石よりも本物なのですが、地球に海を奪われる際、一緒に落ちてしまったそうです。

「我が子よ我が子、どこにいる」

海の底か、土の奥か、マハラジャの宝庫の中か。

「嗚呼我が子!」

今日も月は響き輝く。

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745.「神様、どうか私の分の幸福を、彼にやってはくれませんか。私は友情を守るため、彼のそばを去ります。余計な愛を伝える前に、この友情を永遠とせねばならんのです。神様、どうか私の代わりに彼を見守ってはくれませんか。それだけの幸福を私にください。」

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746.金糸雀の忘れた歌を歌いましょう。酔い任せに歌うそれは私から離れたそばから解けて行き、嗚呼到底、金糸雀に教えに行くなど出来んのです。だから夜通し歌いましょう。解けた歌を外に満たし尽くし、朝焼けの輝きで、金糸雀に伝えるんです。きっと返事を下さい。それはきっと貴方によく似た飴色です。

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747.私の孤独は粉砂糖の様に冷たく広がり、安寧を齎す。一人月光の散る海に膝を抱え座るようで、眩しく、しかし海は底なく黒く、周りは水平線が横一文字と締め付ける。それはどの風景よりも荘厳で、私の世界を抱え込む。

寂しいとはこの海に落ちる事だろう。それは苦しく暗く、悲しみの涙は常に冷たい。

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748.アメジストが王座を降りるまでが、私の少女の王国で、ウミウシや海月が輪郭を銀に光らせ横行します。同じ顔をした少女たちは泡の様に笑うのです。夜の底に沈む街。楽園というには余りにも暗く、地獄というには余りにも無邪気で、誰の目にも映らない、これは私だけの夜の夢です。

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749.紙飛行機が切り裂く青空をびいどろに透かし、光戯れる中、指切りをした。私に呪いを。青空、紙飛行機、光の海と貴女の顔。もう何を約束したかは忘れてしまったけれど、その風景だけが目論見通り、私の頭に焼き付いている。私は貴女を永遠の中に留めることに成功したのだ。ただ、約束だけが思い出せない

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750.例えば不特定多数の人が月を見上げた場合、名称や場所などを省き、一人称を統一し「私は月を見上げました」とする。そこに個人は無く、皆同等に「私」であり「月を見上げて」いるのだ。最小公約数。文字に個は溶け、大きな1となる。だから私達、文字の中で会いましょう。待ち合わせは月がいい。


WUNDERKAMMER

名作は、名作と呼ばれる理由があるはず。 それを求めて映画や本を観ています。 あとは奇妙なもの、怖い話や自分が好きなものをここに集めています。

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