731.冬の朝早くに散歩に出る。『このまま暗に溶けてしまえ!』、自殺にも似たこの気持ちはやたらと清々しく、胸膨らむものがある。だが段々と世界が薄らみ、青銀、金、そして極彩色と変わるうちに、私は個なのかと再度認識するのだ。夜は塗り潰し、朝は全てを解き明かす。それは水を抜かれた海に似ている。
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732.「ううむ、困ったぞ。腐れ縁だと思っていたら赤く染め上げられていた。
思えば私達は遠距離である癖に事あるごとに一緒にいるな、最近もキネマを観に出かけたばかりだ。
このままでは死に際を見届けたり見届けられたりしてしまう!
困ったぞ、更に困ったのはそれが幸せだと思ってしまう自分だ!」
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733.少女に戻る方法は、記憶を消すに限るのさ。少女であったあの日まで、記憶に別れを告げなさい。初恋散ったあの日から、君は大人になったのさ。シャボンに思い出吹き込んで、天より高く飛ばしなさい。君は少女に巻き戻り、涙の意味も知らんのさ。君が無くした思い出は、神様だけが知っている。
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734.人のいない市民プール昼下がり、反射する光に全てが許されたような気がした。水という恵と死が、それも壮大な量としてあり、青い底、影の薄暗さと絶対的な光りのコントラストが好きだった。カルキや壁は人口の匂いがして、泳ぎ疲れたあとの売店は現実に戻ったようで、彼処には生から死まで揃っている。
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735.素敵な電球を買った。
その光は不思議と胸を弾ませ、まるで大切な誕生日の蝋燭や、砂漠を金に光らせる時の陽によく似ていた。
だが晴天になると必ず電球からコツコツ音がする。不思議に思い割ってみると中から金木犀に似た香りがふわりとし、空へ昇っていった。
電球にいたのは太陽の欠片だったのだ。
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736.骨壷からコンコンと音がするので開けてみると、ひとつ林檎が入っていた。
私は家へ帰り、庭へと植えてみると、それはするりと伸び出し、ひとつの林檎を実らせた。
「さきに、ここでまっている」
そんな言葉が聞こえた。
それから何百年が経っただろうか。
その木には、必ず二つばかりの林檎が実る。
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737.色の散るルービックキューブ
解けない糸くず
片割れのいない靴下
あべこべの量産手袋
彼らを連れて、旅に出ます
砂漠で焚き火を囲むのは
おそらく全て、僕なのです
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738.窓をさす月明かりが三角形な事に気が付いた。万華鏡の如く散る青銀に目を奪われ、僕は夜を更かしてしまった。
「君、知ってるかい?」翌日皆にそう問うたが誰もまさかと信じない。そんな中、クラスメイトの無口な彼が僕の服を引いたのだ。
今夜僕らは月見をする。
話す言葉はきっと三角が紡ぐだろう。
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739.月の処方箋について
・光に弱い為、開けたらすぐ飲み込んでください
・胸に貼ると涼しくなります
・丁度、薄荷水の様にね
・使い切りです、部屋に浮かべるとよく眠れます
※らんたんに仕舞うのはおやめください、悲しい歌を歌う様になります
※太陽との併用はおやめください、追いかけっこを始めます
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740.電柱に「この顔に注意!」と張り紙があり、信楽焼の狸の写真が貼られていた。
ふいと目の端に映ったのは狸の焼き物である。電柱の隣に何十もの狸が並んでいるのだ。曲がり角は消え、端が霞む。暫くみると一つ、写真に似た狸がいた。「君か」と言うとニヤリと笑い、そこはいつもの道であった。
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