一般的な吸血鬼の撃退方法は、心臓への杭打ち、斬首、火葬、聖なる剣、水、または聖水に沈める、狼を使うというものがある。
しかし吸血鬼の有名な逸話の中には「不死」という言葉が出回っている。
中世、吸血鬼という形無き脅威にさらされた人間達の対応はどういったものだったのか。
最近イタリア中部、ウンブリア州ルニャーノ・イン・デヴェリーナにある古代ローマ時代の共同墓地から、口に岩石を入れられた子供の亡骸が見つかった。これは「中世に欧州各地で行われていた吸血鬼の埋葬方法と似ている」らしい。
推測ではあるが、5世紀頃に大流行したマラリアで亡くなった子を埋葬する際、マラリアが広がらないようにという、また病気を棺桶の中に閉じ込めるといった呪いの一種だったのではないかと言われている。
また同じ墓地では同じ墓地では傍に大きな屋根瓦が置かれ、同様に口の中には大きな岩がおしこまれていた。さらに3歳児の遺骨には手足に大きな岩が置かれ、また窯の中に埋葬されていた幼児の下からはカラスの鉤爪やヒキガエルの骨、子犬の骨などが大量に出てきた例もある。
また違う記事で、ポーランド西部の村グジツァの墓地で3体の奇妙な遺骨が発掘された。
13~14世紀に埋葬された遺骨その遺骨は間違いなく吸血鬼を葬る方法で埋葬されているそうだ。まず骨がバラバラに置かれ、右足と左足を左右逆に配置されている。
そのうちの一体である老婆の遺骨はうつぶせに置かれ、地中で蘇っても簡単には地中に上がれないようにされていたという。さらにその遺骨のひざは破壊されており、万が一復活して地上に現れても歩行が困難になるよう工夫されていた。
さらにその老婆含めもう一体の遺骨は頭が切り落とされ、さらには頭が岩の間に挟まれていたという。
そして吸血鬼と言えば、であろうか、背骨や背骨下部の仙骨に細い杭を突き刺したと思われる穴も見つかっている。おそらくこれは地面に貫通するように刺したものだと思われる。
ある話では「吸血鬼の心臓(魂)を地面に刺し固定して、身体とそれを分けさせる」というものがあった。もしかすると「地面に刺す」という事が大切だったのかもしれない。
しかし、発見者のソハ氏曰く、先程の2体は吸血鬼ではなくコレラなどの伝染病にかかっていた可能性が高いという。また遺骨は後弯症いより極度に背中が丸まっていた。それを見た村人が吸血鬼だと恐れた可能性がある。
しかし問題はもう一つの遺骨である。
その遺骨は30代の男性のものだと思われ、感染症や骨の変形は見当たらない。
しかし他の遺骨と同様、背には杭が打たれ、頭は岩の間に挟まった状態で埋葬されていた。
なぜこの男性が吸血鬼と同じような埋葬をされたのかはわかっていない。
他にも口の中にコイン、首に鎌など様々な呪いが施された遺体があり、
こういった遺骨がブルガリア、ポーランド、イタリアでは各地100体以上見つかっているそうだ。
足を折るのは地上に上がりにくくするため、杭は魂を地面に張り付けるため、首はおそらく最初にも書いたが撃退法として行い、それを岩に挟むのはやはり復活を妨げる為であろう。
また吸血鬼伝説では葬られた吸血鬼が自分の衣類や肉を食べて復活すると言われており、それを防ぐため、口に岩を押し込めたのではないかと言われている。
しかし瓦カラスの爪などはどうも直接的な意味は無く、完全に「おまじない」としての意味が強そうに感じる。
またこれらの方法は「生きているうち」ではなく「亡くなった遺体」にしていたそうで、拷問などではないだろうと言われている。疫病が流行ると墓の死体に串を刺したり、身体をバラバラにする風習がこの時代の人々にはあったそうだ。
また国は変わるがマレーにも吸血鬼伝説があり、その一つラングスィルとは、お産で死んだ女が死後40日を経る前に、この吸血鬼になるというものだ。これを防ぐには死者の口にたくさんのガラスビーズを詰め、鶏の卵を脇の下に挟み、手のひらには針を刺す。こうすることで女は叫び声をあげられず、腕や手を動かすことが出来なくなるのである。
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