1291.町に突然鉄塔が現れた。どうも施設らしく『月海生物観測所』と看板が付いていた。人の気配だけを残した施設内は静かで、長い廊下に並ぶ見た事のない生物達の解説図を追っていくと最上階の天文台に辿り着き、夜空には真白な鯨が泳いでいた。後日行くと塔は無く、売土地の古びた看板があるだけだった。
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1292.地球が水で満たされて、土は記憶から消えました。生きているのは電気とコンクリイトと、ほんの少しの人間で、世界はそれでも回ります
夜になると水面と夜空は混ざり合い、浮かべた船に寝転び、ああこのまま地平線から溢れてしまえばどんなに気持ちが良いかとも思うのですが、僕は今日も生きています
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1293.売ってしまった月の代わりに銀のコインを浮かべたその日から、私の夜には巡り削れたらしい銀の粉が降り注ぐ様になった。段々と粉達は体を蝕み、銀中毒で青く染まった私は月が出る頃には夜に紛れて世界のどこかへ追いやられしまう。それでもきっと私がいない世界の広さは、神様すらも知らない特別だ。
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1294.君が猫になってしまった。医者によれば三日で治るらしく良かったねと言うと「なおぁん」と一丁前に返事をした。猫の君はよく喋り、私は覚えながらお世話をしていたのだがある一言だけがどうも判らず、元に戻った際に聞くと「君の名前は長いから仇名さ」意味は秘密、と未だヒゲが残る顔で鼻を鳴らした。
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1295.水面に散らされた月光を繋ぎ合わせると薄荷色をした一枚のレコードになった。柔く周りを照らすそれを持ち帰り蓄音器にかけてみるととても懐かしい子守歌が流れ出したのだが、聞き覚えがあるのに何と言っているのか分からず、微睡む中、私達が花を愛しているのは失った何かを弔う為なのだと気が付いた。
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1296.その植物園には夜になると沢山の蝶が現れる。白く柔らかな光を纏った蝶達は月光に当たれば消えてしまう程に淡く、日が昇ると消えてしまうのだが、そこには美しい花を咲かせた大きなウツボカヅラが居り、飼い主である少女が毎日、標本箱から選んだ何匹もの蝶をピンセットにて丁寧に与えている。
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1297.神様が自殺した日空から白黒の紙吹雪が降り、人類賛歌が始まった。歌に包まれた街、咲いた様に人々は踊り恋人達は心中を誓う。愚か者は窓から投げられ、逃げ着いた海では紙塗れになった君の死体が打ち上がりそんな事どうしようも無いのに足元へナイフが放られ、背後では、カーニバルが私を待っていた。
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1298.この箱庭に生きているふりをした者がいる、と先生が言った。噂では息をしていないので歌えないらしく、ひそひそと同じ狼のお面をした私達が手を握り確かめ合う中、木陰で蝶と踊るあの子は毎朝隣で無音の賛美歌を歌うけれど私はその時間が好きなので、こっそりお面を外した裸眼で一人その姿を眺めていた。
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1299.蜃気楼だった私は風に打ち砕かれ、その際に分離した夏は彗星となり飛び出した。一番最初の恋人達が踊ったワルツの残響が最果てまで続いているので、それを壊しに行ったのだろう。空には非常ベルが鳴り響き、人間がさよならと言う言語を作る中、もう目覚めない壜の中の塩達だけは海の夢を見続けていた。
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1300.毎月第二金曜日の夜十一時、仕事帰りに私は一人プラネタリウムを観に向かう。決まった席、輝いていく空に今回映し出されたのはエジプトの星空だった。四十分後明けたホールを見渡せば決まった席に違う部署の部下が居り、私達は片手で挨拶してから一杯だけ、ゆっくり酒を飲みながら星について語り合う。
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