ショートショート 911~920

911.夜行列車が海のトンネルを潜る。

多重に散った月光は泡沫に影をつけていく。少し寒い海底で、描かれた様な魚の骨が泳いで行く。『お客様へ、決して振り向いてはなりません』見上げる程の水晶が黙として立っている。『帰れなくなりますよ』…

目覚めると深夜だった。

とぽん。月影に魚の姿を見た。

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912.迷子でなくなる為には、これ以上何を見つければいいのだろう。夏の吐息程見えないものはない。記憶の盲点にて叫ぶ声は遠く、道端で拾った白い小石は、貝殻は、ポラリスは、全てが均等に同一だ。蛍石の輪郭を地図に巡る、午前3時の革命。夢で貰ったチケットに書かれた文字は、遂に読めなかった。

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913.鯨らしい巨大な魚型の骸骨が泳いでいた。闇の中それは悠然と揺蕩い、鋭い肋骨の柔さがわかる。私は手を伸ばして鯨の顔を撫でた。──私の死神だろうか。「ありがとう」。夢に近い意識の中、瞬く周りの惑星達と海の泡粒との違いがわからない。

宇宙の果て、千切れた酸素管の先が、もうあんなにも、遠い。

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914.寒がりな君が月明かりの熱に蒸発した。「暖かい」と透けながら呟く君は幽霊によく似ていた。

気体なら、何れまた液体などに戻るだろうか。私は窓辺に瓶を置き、君が好きな花を入れて待っていた。

それもすっかり忘れた頃、瓶に宝石が入っていた。あの月夜に似た色の石。そうか、君は蛍石になったのか。

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915.友人が亡くなった。恋煩いであった。

相手は庭の椿の花で、今宵落ちる様だった。

私は庭へ出て枝を引き千切り、彼女の胸へ抱かせてやった。白装束の乙女は包装された様で、酷く、満たされた様に完璧だった。

私も同じ病なら、同じ所へ行けるかしらん。鏡に映った震える唇が、憎い椿の様に紅い。

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916.月光の梯子を上る少女は、この世が重なり合った二次元座標だと知っていた。ミンコフスキー時空、瞬間の後だけを認識する体と、未来を願う意識はいつも裏腹だ。「x,y,ct全てが交差する所に、林檎があるの」少女は上る。丸めた指程になった地球が懐かしい。

月にはまだ着かない。

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917.丁寧に描いた僕らのワルツは、いずれこの世界の外へと響く波紋となるだろう。昼と夜の間の様な瑠璃色が揺蕩うそこは、1と0の極僅かな手懸りだけであってほしい。それは喪失と呼んではいけない、ただ理解するその時までの延長線上だ。白銀の喇叭は、長い夜明けを歌う。パラレルワールドの僕らへ。

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918.オルゴールを開けると、そこにいたのは掌ほどの蜥蜴であった。赤いビロードの張られた枠にて眠る緑のそれは、この世で最も本当の宝石の様で、

ふと、花の香りがした。

そうして誘われる様に蜥蜴はゆっくり目を開けて、その途端、花の香りも蜥蜴も消えてしまい、後に残るは名も曖昧な旋律だけだった。

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919.神話が地上にあった頃、お月様が湖に落っこちた。「落ちた貴方は金色ですか?それとも銀色?」女神が問うが、月は自分の姿を見たことがないのでわからない。「赤?白?青銀?それとも…」遂に月は泣いてしまった。

それから空には様々な色の月が昇るが、本物の月は海になった湖の底で今尚泣いている。

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920.窓から向かいの建物の一室が見えた。そこは室内にも関わらず原始の様に草花が咲き、二人の少女が此方に手招きをしていたのだ。その美しさに思わず足を出した所で「何やってるの!」と妻に止められ、気が付いた。我が家の向かいに建物は無い。青空の元下を見ると先程の少女達が、此方を見ていた。

WUNDERKAMMER

名作は、名作と呼ばれる理由があるはず。 それを求めて映画や本を観ています。 あとは奇妙なもの、怖い話や自分が好きなものをここに集めています。

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