791.昼の、平穏な海を長方形に切り取って私の棺桶にする。奇抜な現代アートにでもするといい。美術館に飾って九想図でも描いてしまえ。
そうしてすっかり骨も溶け、小さな嵐の過ぎた様に過去だけが増えた海が、私を飲み込んだ海が、21g増えた海が、ただの変わらぬ海が、ポツンとそこに浮いていればいい。
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792.海沿いの潰えた会館にて、夏期講習の昼休みに寄る。一人が好きだからだ。
奥の部屋にて同じ講習を受ける子がいた。いつも笑顔の彼女は無表情でどこか安心して食べていた。
私達はいつも此処で食べている。
塾では喋らない私達は此処で気怠く奇妙に交差する。私と彼女はきっと命の価値感が似ている。
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793.「幽霊の ひみつ 知りたい?」
「それはね」
『秘密よ』
そこで目が覚めた。
それから度々その声が聞こえる様になった。本棚の隙間、暗い路地、蕾や小箱『秘密よ、秘密ったら』クスクスと唱える
ある夜、月光満ちた風呂場の鏡に見知らぬ扉が映った。『知りたい?』薄く開いた扉の奥で声がした。
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794.夢の途中で分裂した自分の片割れが、寂しい迷子の様に、世界のあちこちで私を待つ。それは月に帰り遅れた水月の様で、ひっそりと水に、棚上に、影に、彼岸花の生首に、背丈を覆う木々の中に、薄寒い色に漂いながら、悲しい私の迎えを待つ。
一般的にはこれを幽霊と切り捨てる。
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795.文字が私達を読んでいる可能性、貴方が本の書いた二次創作である可能性、その人を私達が伝記にした可能性、その本がまた読者を読み新たな本を執筆した可能性、「私達似ているね」と笑う彼女と私が同じ本のアンソロジーである可能性、この世のどこかの本が彼女を愛している可能性、は誰が否定出来ようか
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796.この世界がある角度から見れば平面である様に、文字達もきっと平面の中に立体を見出している。可視化の文字とはピン留めされた標本の様なもので不可視な音や言葉は風よりも生命めいている。実体を持ち不自由を得るか幽霊の様に彷徨う自由を持つか、文字と私達はメビウス、表裏にすれ違っている。
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797.海が自殺した日と海が生まれた日は同じで、それは瞬きの様だったとも言うが誰が言ったかはわからない。海は何故自分は自殺したのだろうと考え、またそれが今の気持ちと同じかしらと思い目を瞑り、そうして目覚めた海は新しい世界と死んだ自分を思って泣いて、死を思う。
だから海は優しくしょっぱい。
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798.「もうすぐ春ですね」と声がした。『まだですよ』と私は言う
猫の言う春とは心地良いという意味で「何故ですか、春なのに」『まだ秋ですよ』とあまり会話は成立しない。
膝に乗った「ここは春ですか」私は頭を撫でる『そうかもしれません』
「うーむ、ムツカシイ」そんな言葉と裏腹に猫は目を細めた。
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799.夕焼けの代わりに私は海を瓶に詰めました。溶けたルビイの様に畝ります。しかし何日か経つとその畝りは身悶えの様に悲しさを増しました。
次の休み、私は海を逃がしました。でも真青の海に混ざれぬ赤い海は真赤な金魚に姿を変え、泳いでいきました。海で金魚を見ましたら、それはいつかの夕焼けです。
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800.象の瞬きで産まれた風は、いつか楽園に届くのかしら。
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