781.夜中、目を覚ますと枕から何か聞こえた。耳を当てるとそれは鈍い声で歌のような、話し声のような、そんな事を呟いていた。
鋏一断ち、切り開いてみると中には何もなく、先程の声も消え、
それ以来、私は夢を見なくなってしまった。
・・・
782.壁に寄りかかった女性が髪を耳にかけ、ふいと私の方を向いた。
目が合ったのか、僕は少し照れながら拭いていた眼鏡をかける。
鮮明になった世界、先程の女性は壁に描かれた絵であった。
「そんな!」馬鹿な、僕は再び眼鏡を外すとあの女性が真黒になった目口を見開いて、僕を指差していた。
・・・
783.泣き果てた少女はいつか石になった。涙のミネラルが多すぎたのだ。
やがて彼女は砕け鉱石となり、宝石をまぶした小鳥の瞳となった。
持ち主を転々としていると、ある日彼女は自分を見つけた。転生した様で自分と同じ色の目をしている。
──もう泣き止んだのね。
そうして小鳥は目を閉じて、それきり。
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784.「足音が多い気がする」
廃墟にて友人がそう震えた。確かにペタペタと不自然な足音がする。ライトを振り回すと「あっ…」天井にて僕達が歩いた筋をなぞる様にどす黒い足跡が付いており、
『ペタリ』
僕の目の前の床に、足跡だけが降り立った。
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785.現実主義者が亡くなった。老衰であった。「現実主義故か、私は昔から現実の夢を見る。目覚めて、生活し、寝る。すると此方の私が起きるのだ」と生前彼は語っている。
彼は同級生と比べ老いるのが早く、四十歳の彼は医学から見ても老人そのものだ。
『効率の良い生き方だった』と友人達は口を揃えた。
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786.宛て無く送った手紙は浪漫虚しく家へ流れ着いた。だがおかしな事に僕の恨み辛みについての返事が入っていた。このやりとりはいたく僕を感動させ、この奇妙な文通は今も続く。
だが「大丈夫、友人とは…」いつからか僕が悩みを聞く側に、彼の字が幼い自分の字に似ている事に僕は気付いている。
・・・
787.陽炎少女は夏昼間、アスフアルトにて浮かんでる。檸檬色の輪郭に、伏せた目は僕を見ない。仰げば揺らいで行く君は、何事もなく元通り。
車に轢かれて歪む君。君の腕は空を切り、僕は無力を思い知る。陽炎少女に良く似た子。君の腕は掴めるが、陽炎少女はそのまんま。
僕はあの夏、陽炎少女に恋をした。
・・・
788.「例えば僕の心臓が林檎だとする。
僕は自分の心臓を見た事無いし誰もまだ僕の胸部を開いた事は無いからね。否定される筋合いは無いのだ。
僕の心臓は林檎である。出来れば魂は達磨がいい。赤くて丸いは縁起がいいのさ」
そう言って赤玉を飲み込む彼は化狸に良く似ていた。見た事は無いが、きっと。
・・・
789.幸福論者が自殺した。
自分を幸福に閉じ込める為。
不幸論者は生きている。
明日にも不幸を探す為。
詩人は今日も目を開けない。
夢の散文を書き留める為。
画家は今日も眠らない。
己の脳を書き留める為。
少女は夜に散歩する。
月明かりと話す為。
少年は夜に散歩する。
月明かりになる為に。
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790.森に隠され忘れられた木がある。
空に迷い込み帰れない鯨がいる。
白い印刷紙に溶けた白鷺がいる。
化石の中に光を知らぬ蛋白石がいる。
夕陽に同化し消えた蜜柑がある。
本当の姿を忘れた狸がいる。
本棚に探されない日記帳がある。
風に飛ばされた告白がある。
そして、人に紛れて失った私達がいる。
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