父の遺品

私は、割と栄えた地域で父子家庭の一人っ子として育ちました。

男親ということもあり、小学生のころまでは祖父母と暮らしていましたが、

次男の父と長男の伯父とのが色々揉めたみたいで、中学生のころには父と2人暮らしになっていました。

男の2人暮らしということで、仲の良いという感じではないですが、

父兄参観には時たま来るし、時間が合えば話しもするしという、ベタベタではないですが淡々と暮らしていたと思います。

ただそんな父との暮らしで気になることがあるとすれば、父の部屋に扉一つ分の鍵の押入れというものがあったことです。

そこは父の大切なものが保管してあると聞いており、それ以上聞いても答えてくれず、私もそんなものかと捉えていました。

そんなこんなで私も高校大学と進み、就職後に学生時代から付き合っていた現在の妻と結婚しました。

式では小学生の頃から疎遠になっていた伯父家族も来てくれ、

父は色々な面で感極まったのか男泣きをし、つられて私も泣いてしまったことを覚えています。

順調というほどではないにしろ、母がいないということを以外は人並みの幸せだと思っていました。


それから少しして、父が亡くなりました。

事故なのかそうでないのか曖昧な感じでしたが、結果として事故となりました。

私は妻や親類に支えられ、なんとか父を送りだしました。

49日が過ぎ、半年が過ぎ、延ばしていた父の遺品整理をすることにしました。

結婚し家を出ていますが、もともと住んでいたので大体の勝手はわかっていました。


ただ私が知らないこと、それは父の部屋の鍵の押入れでした。

貸金庫や書類などは、父が生前から万が一のためにどこにあるのか聞いていましたので、

鍵の押入れにはそういったものはないと思い込んでいました。

そのとき初めて、その鍵の押入れに貴金属とはいわないまでも価値のあるものがあるのではないかと思いついたのです。

そして事故の後、父の遺品からその押入れの鍵を私は見つけていたのです。

私は早速、鍵の押入れにむかい、その鍵を開けることにしました。

鍵といっても簡単な南京錠みたいなもので、もともとあった押入れにあとから簡単につけたものでした。

ともかく鍵を開け、押入れを開くと、

押入れは上下で仕切られ、上の段にはいくつかの母の写真と、形見なのかネックレスがありました。

祭壇というほどでもないけれど、母の思い出を懐かしむためなのかなという印象を受けました。

下の段に目を移すと、そこには大学ノートが並んでいました。背表紙に貼られたシールからすると日記のようでした。


父を尊重し読まずに処分すべきか迷いましたが、ちょっとした好奇心から一番古い日付の日記を読むこととしました。

日記は学生の頃から付けられておりましたが、飛ばし飛ばしに書かれていました。

生前のキッチリした父の印象からすると意外な気もしました。

読み進めていくと、どうやら日記は母と出会ってから付け始めたらしく、

一目ぼれした母の好みのちゃんとした人になるトレーニングを兼ねているとのことでした。

日記の中心は母であり、2人の順調な恋愛、結婚が書かれていました。

そうして私を母が宿したあたりから、父が母を心配する記述が増えてきました。

もともと体の弱い母でしたので、父は幾度も私をあきらめるように説得していたようです。

結果的に生んでもらったとはいえ、たとえ一度でも父がそういうことを考えたということは、とても私を傷つけました。

それでも順調に私は育っていきました。

そこから半年ほど空白が続き、私が生まれたことが書かれていました。

そして私の出産で、母が亡くなったとも書かれていました。

それは私が聞いていた死因とは違いました。私は事故と聞いていたのです。


そこからは毎日日記は書かれており、

母に似てくる私の成長、私への恨みと母の忘れ形見ということへの愛情の入り混じったものとなっていました。

そうして日記は父の亡くなる前日まで書かれていました。

私は父の感情を知ったことで、何とも言えない感情を覚えました。

そこまで恨んでいる相手を育ててくれた父への感謝と哀れみというところでしょうか。


とにかくどうしたものかと思い、私は妻に相談し、それらの遺品を持って伯父に真実を聞くことにしました。

伯父にも思い当たる部分はあったらしく、すんなりと伯父の家へと招いてくれ、後日妻と訪ねました。

世間話もそこそこに伯父夫婦の前にその遺品たちを置くと、伯父の顔が険しくなりました。

私はさすがに故人の日記を公開することは悪かったかと反省したのですが、違いました。

伯父は母の写真立てを手に取ると、「まだこんなもの持ってたのか」と呟いたのです。

「どういう意味ですか」

私は母やその母を想う父を侮辱されたと思い語気を強めました。


伯父が言うには、これは昔の女優の写真で母の写真ではないとのこと。

私は理解できないため、この人が母だと育てられたと伯父に告げました。

伯父は「そうか」と言いました。

私たち家族が祖父母の家から出た理由が、この写真の女性とのこと。

ある日、父はこの女性を亡くなった妻(私の母)として暮らし始めたこと。

祖父母、伯父は説得し、父はこの女性は母ではないことを納得したようですが、

それ以来ギクシャクし、家を出たとのことでした。

そして本当の母の写真は、父がすべて処分してしまったと聞きました。

私は混乱してしまい、一人茫然としてしまいました。

そのとき、伯父の奥さんが父の日記を見て、

「これ一年に一冊くらいで書かれているけど、全部同じくらいの古さね」といいました。

確かに、よく見るとノートは特に日焼けもせず、日付を見なければどれも同じように見えました。

私は伯父に申し訳ないが後日また来ますと伝え、妻の運転で帰宅しました。


これが先月の話です。

それから進展はありませんが、自分の身に起こった不思議な話を書いてみました。

長々とすみません。

WUNDERKAMMER

名作は、名作と呼ばれる理由があるはず。 それを求めて映画や本を観ています。 あとは奇妙なもの、怖い話や自分が好きなものをここに集めています。

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