先祖代々農民のはずなんだが
結婚式と葬式には村人は裃と刀を差して行列する風習があるいわれは不明
山村だが川にはアマゴやアユ、ウナギもいたが食べる風習はないどころか
出汁ジャコ以外の動物性タンパク質は一切取らない。
エタと犬神憑きと呼ばれる人たちだけは魚とオオサンショウウオを食べる風習があった。
周りはみな農民なのに明治以前から商家でもないのに
どの家も「屋号」という名目で苗字を持っていた。
実家は江戸時代の街道筋にある家だったが
うちの土地には街道で行き倒れた人の墓兼供養塔と
落ち武者の墓と伝えられる墓が数基あった。
爺さんが戦前に落ち武者の墓と供養塔を壊して
畑にしてしまったんだが
それ以来うちに何か不幸があると落ち武者の祟りと村人には言われていたそうな
ちなみに落ち武者の墓は掘り返してみても遺骨らしき物は埋まってなかったそうだ。
周りの家は農耕用には牛を使っていたが、↑の家は馬を使う。
鶏も飼っていたが卵を街で売るために飼っていて
自分達では肉も卵も食べない。
戦中生まれの父も魚も鶏も一切食べたことがないとのこと。
家系図は豪雪の冬に破れ障子を繕うために使ったために残っていないとのこと。
不思議なことに近隣の集落の全世帯が家系図を紛失したので残っていないとの伝承がある。
(中国地方のとんでもない山の中)
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