その本はとある古書堂に置いてあった。
その古書堂は都会から少し離れたところにそっと佇んでおり、その昔懐かしい雰囲気と店員が一人だけで、また客もそこまで少ない事から静かであり、私は好んでそこを活用していた。
雪の降る時期の頃だった。悴んだ手をポケットに突っ込み、今日も私はその古書堂へ出かけたのだ。やることが無い日は本を読むのに限る。
扉を開けるとカラン、コロンと軽快な音が鳴った。
マフラーを緩め、ふぅ、とため息をついて中に入る。
冷たくなった耳を手で握りながら棚を見て回っていると、店の奥の棚にある一つの本が目に留まった。
どうやらその棚は外国人でも時代小説でもハウツーでもない、未分類のカテゴリーの様で、外見では何の本なのか検討もつかないそれは、茶色と黄色と緑色を散りばめた様な奇妙な色合いの皮を使った装丁本であり、持ってみるとずしりと重い。埃とも油分ともいえない臭いがするのだが、艶がありなんとも魅力のあるものだった。
ペラリと捲り読んでみる。
これはとある男の伝記のようだった。
その男はここからずっと遠い所で生まれ育ち、野山に囲まれ生活していたようだ。その時に学んだ野草の詳細も書かれている。
それから小中学生に成長し、学ぶために東京へ出たようだ。勉強をし、元々大変な興味のあった古道具屋に就職した。そこで1人の女性・・・とても素晴らしい女性と出会い、この時代には珍しいであろう恋愛結婚をしたそうだ。そして子を儲け、成長を見届けた後に自立し、九州の方に古道具屋を立ち上げたという。読んでいて思ったが、この人はすごい努力家であるようだ。
本当に存在している人物なのかと疑ってしまう程である。
夢中で読み、ペラリと最後のページをめくった。
「勤めて初めて気づいたのだが、古道具屋というのは人との繋がりが必要な職業である。
そんな中、私が出会ったのは、とある装丁家だった。
私と同い年ぐらいの彼は、悪趣味な蒐集家に特注の本を仕立てるのが仕事だという。珍しい動物の皮やミノムシのミノ、植物の葉で作った装丁本などの話を聞いた。
彼と会う度私が他には無いのかとせがんでいると、少し考え、他の人には言わんでくれと念を押され話されたのが『人皮装丁本』だった。人皮装丁本とはその名の通り、人間の皮膚で装丁された本である。これは下手の中でも下手であり、また大変珍しく貴重なものだと言う。彼は外国に行った際にその作り方を覚え、日本の著名な蒐集家の為に1つ2つを作ったと言う。
私はこの言葉に一気に引き込まれた。なんと魅力的な話だろう。
その話を聞いた途端、『私も死んだら本にしてくれないか』と頼み込んだ。流石に彼も困っていたが、熱意が伝わったようで『君が僕より先に亡くなったらそうしよう。だから君は精々良い人生を送るといい。』と言ってくれた。私は妻との結婚以来、これ以上浮かれたことは無かったと覚えている。
私は自分で作られた本の中に自らの人生を書こうと思う。だから私は絶対に人生において手を緩めないと誓ったのだ。
この本は、私の皮で出来ている。背には私の骨が入っている。閉じる紐には髪を使っている。
友人との約束が決まって以来、私は肌に気を使い、健康に気を使い、髪に気を使った。私が生涯扱った中でも一番上等な品がこの本だと、商人として自信をもって紹介しよう。」
「どうだったかな?」
そんな声を掛けられた気がして顔を上げた。
周りには誰もいない。
冷えた店内で、本を持った私の手だけが異様に暖かかった。
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