私の祖父の母国にいた親族の話。
雨の日に傘をさして歩いていると、どこからか鐘の音が聞こえ、葬列に出会った。 教会に向かう人が皆白い薔薇の花を持ってるのを見て、教会で用意していないのか不思議だなと思いながら列を見ていると、 妙に知り合いばかりがいる。
ぎょっとして周囲を見回しても、誰も彼に気付いてくれなかったそうだ。 しかも、霧で霞んだようにいやに色彩が曖昧である。
これは厄介なものに出会ったようだなと、警戒して列から離れようと決意し、 顔を隠そうと傘の持ち手を短く握り直して気付いた。 なんと、自分の手にも薔薇が一輪握られているではないか。しかも自分一人だけ、真っ赤な薔薇なのだ。
そして、その薔薇を見た途端、彼は見知らぬ妻の存在を思い出す。 幼馴染みであったこと、やや深刻な喧嘩や、恋に落ちたときの喜びや不安、結婚式の歓声に、 事故で亡くなる日の朝の姿まで。
これは、自分の妻の為の葬式なのだということまで思い出した途端、わあっと声を上げて泣きたくなった。
だが次の瞬間、ガラガラと音を立てて道を走ってゆく馬車の音に目を瞬くと、そこは彼のいつもの散歩道であった。 勿論彼は妻を喪うどころか、恋人もおらず、深い酩酊から醒めたようだったと言う。
彼はその後、雨の日に鐘の音が聞こえてくると傘を持って彷徨い歩いたが、あの葬式を再び見ることはなかった。 自分が紛れ込んだ奇妙な世界の、在りし日の記憶があまりにも幸福だったのだと穏やかに語り、 亡くなるまで独身であったそうだ。
それ以降、血族の中では雨の日に真っ黒な大きな傘をさすのは良くないと言われている。
戦前のドイツのお話。
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