私の地域での風習。
一般的な厄年は氏神様のところで払ってもらい、それと別の日にやる厄年みたいなのがあるのですが、
米を落としながら、近くの関連する社に行き(人によって違う)、社を清めて夜を過ごすというものです。
意味合いとしては、成長するに従って身体のけがれが増えるので、
(このけがれは、悪いものがつくとか罪で汚れるではなく、心が空になるとかいう意味)
それを満たしてもらい、次の成長に備えるみたいな感じで、怖い感じのものではありません。
儀式の最中はいろいろと制約があり、特徴的なのは、
米を点々と落としながらお社に向かう途中、
ぜったいに振り向いてはいけない、話してはならない、日が沈む前にお社へ着かなければならない、です。
他にも色々とあるのですが、自分はあまり信心深いほうではないので、
地域の人が用意してくれてるところだけ(儀式をやったかどうかバレるところだけ)ちゃんとやろうと思って、こっそりメモを持って行きました。
夕方、米をもって、塩を口に含んでから家を出るのですが、
晴天で綺麗な夕焼け小焼けだなぁと思ったときすでに、
雷のような音というか、地響きのようなものがゴロゴロ鳴っていました。
どこかで通り雨かなと思って気にせずに進んでいると、
いろいろと不可抗力な知り合いとの出会いとかで、さっそく儀式通りにはいきませんでした。
米だけはちゃんと適当に落して、振り向かずに歩いていたのですが、
突然耳元でパン!パン!パン!と手を叩く音がしました。
あれ、儀式の盛り上げ役(?)かなと、
誰かかついて来てるなら、さっそく制約破ったのバレたと思いつつ、(誰もついてこない話でしたが)
先を急いでいると、やっぱり耳元でパンパン手を叩く音がして、横を向くのですがなにもない。
後ろを振り向いてみたのですが、道下の遠くの田んぼで近所の子供が遊んでいるだけ。
山間なので、隠れるとこはあるとはいえ、音の方向くらいだいたいわかるし、(響いてしまうとわからないけど)
山を誰かついていたら藪の音でわかるし、
まだ明るかったので恐くはありませんが、気分的にやっぱり嫌な気分に…。
気持を盛り上げようと、脳内でずんどこぶしを歌っていたのに、
サビにさしかかると、またパンパンパン!って鳴ってサビ歌わせてくれないわ、
雷のようなものはずっと鳴っていて、ずっと自分の後ろをついてくるような感じだわで、
なんかどんどん落ち込んでしまい、仕方なく音を聴いて分析。
雷というか地響きのような音や、手を打つ音とは別の感じで、
空気が波打つような感じで、でんでんでんでんでんと一定の太鼓が鳴っていました。
それを聴いていると、体ががゆくなるような(振動するような)感じです。
雷の音は遠くから響いてくる感じでしたが、
手を叩く音と太鼓の音は、なにもない空間から鳴っている感じで、遠くまで響かないような感じなのに、
不思議と耳元に届いているような。
しばらくまわりを見ていたのですが、音以外にはなにもなかったので耳鳴りかと思い、お社に向かいました。
家に帰って寝るまで鳴っていて、耳をふさいでみると、
耳をふさいだ時にザーッという音が流れるほかに、まだその太鼓と地響きが鳴っていて、
その時になって怖くなったのを覚えています。
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