1361.誰もいない午前の空、地上の月の顔をしたガスタンクの上で二人の子供が紙吹雪を散らしていた。「魔法をかけているんです」と自由そうに梯子から足を伸ばした子が言う。ちらちらと舞うそれは赤と白の紙切れで、顔を上げると子供達はもう何処にも居らず、そこには白い三日月が浮かんでいるだけだった。
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1362.授業中に回ってきた折手紙を開けると奇妙な模様が書かれていた。誰も知らないらしく不思議に思いながら屋上へ行くと珍しく数人いて、皆の手に同じ手紙がある事に気付いた途端に空から水色の光が溢れ、UFOが一機飛んで行き、確かにあんな生徒もいた様な気がして私達は祈りながら静かに手を振っていた。
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1363.一番早く冬が来る町にガラスの棺桶がある。北の窓際に置かれたその中には水で満たされて、月明かり色のした二つの丸い石が沈み、私は時折花を浮かべては流行りではない歌を口遊む。そうして町の皆が避寒地へと消えた夜、水が揺れて「おはよう」と起き上がった君の瞳は変わらずに月明かり色をしている。
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1364.そのガラスの棺桶には水が満たされていた。窓際に置かれたその中には金木犀が不思議にも腐る事なく浮かび、底で瞬く水面の影は神様でも居そうな程に永遠で、ガラスの端には真鍮のラベルで『雪女』と書かれていた。季節が無くなった世界にて、壊れた壁の外には青空と荒野がどこまでも広がっている。
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1365.失恋をした神様が粉砂糖の雪を降らし、町を窒息させていく。その寂しさに似た雪の温度に凍死する人や雪の重さに潰れていく家も出てきて、青い月明かりの中、静かに崩壊する町に成す術もなく住民達は松明だけを手に空を見上げ、丘の上に住む私は枕を持って屋根に登り、神様に一番近い場所で眠りにつく。
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1366.夏休みの自由研究として私達はさよならを集めていた。小さな詩や動物園、古い約束に叶わなかったおまじない。そうして集めたさよならは眠れない月明かり色をして、その日私達は誰にも内緒で川の側に穴を掘り、壜ごと埋めてしまった。それが悪い事なのかわからないが、以来名前のないお墓がそこにある。
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1367.暗い寝室にて積まれた本の一つから細い光が漏れていた。カーテンの隙間から射す様な平行線を床に落とし、柔く照らしている。やけに見慣れたその光は薄荷水に似た愛嬌と涼しさを持っていて、一体何の本だろうか、見るとそれは真珠色の本で、光るページを開くと其処には『月』と一言だけ綴られていた。
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1368.空から賛美歌より本物らしい音楽が降り注いだ。最初は宗教家や神秘家まで神の実在と騒いだがどうもこの音は人間に消化出来ないらしく、言葉の代わりに口からこの音楽が流れる様になった。混乱した人々は美しい音を叫びながら争い、私達は愛の言葉を失ったまま世界の隅の砂浜で二人寄り添い合って眠る。
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1369.リーンと音を響かせて墜落した天使の死骸から金の歯車が転がったので持ち帰り、庭に植えると翌朝には芽が出ていた。暫くすると無花果を一つ付けたので割ってみるとパキンと鳴り、中から銀の煙が夜空へと昇り赤い星になって、残された無花果の中身はとっくに化石になっており、同じ赤い星が光っていた。
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1370.夜明け前、目が醒めたのでベランダに出て煙草に火を付けるとシュワリと花火に似た音を立て青い火が灯った。それは買った覚えの無い真白な煙草で薄荷とは違う冷たさが肺に満ちて、ふと下を見ると子供が水溜りに出来たばかりの氷を割っており、シガレットケースには空と同じ色で『冬』と書かれていた。
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