1261.鐘が鳴る。甲板へ出るといつもよりカモメが多く、吊り上がった網には数匹の魚と真白い巨大な人間が入っていた。「海は出来損ないの魂が溶けて出来ていて、あれはその結晶なんだ」と父は言った。さようなら、また来世。私は眠る彼女の瞳の色をよく知っている様な気がして、うまく泣く事が出来なかった。
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1262.北の海岸にて打ち上がった君を見つけた。「遅かったね」と笑う君に手を貸し曇天の下、裸足で海岸を歩いていく。ぽつぽつと漂流中の思い出を話す中「海底を渡ってインドへ行こう」、沈没船を見つけたからと君が言うので私達は南方面へ踵を返した。二人ぼっちの地球にて、私達は死なない命の軽さで遊ぶ。
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1263.質の良い月光が降るそこには月明かりを固めて作るラムネ工場があった。「眠れぬ夜のお供に」と書かれた真珠色のラムネは暫く駄菓子屋に並んでいたのだが、それを食べてた子供が凍死する事故が相次いだ為に廃止され、その廃工場には備付けの機械に通され粉末となった月光が今でも積り続けているという。
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1264.「助けてくれ!死にたくない!」曇天の下、振り返ると男が倒れていた。溢れた血は黒く、這う度に文字となって地面を塗る。「私はあんな事したくなかった!何故…何故…」男は私の足元で事切れた。降り出した雨は彼も、彼が流した物語をも排水溝に流してゆき、私の手には血塗れの万年筆があった。
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1265.あんなにも美しかった君が燃やされた時、豚肉と同じ匂いがしたのできっと私達は同じあの世へ行けるのだと安心した。それから私は毎日豚肉を食べている。君と混ざり合える気がして、君の指先や、笑い声、髪の色などをスーパーの豚肉から味わう度、本当に、君が好きだったのだと気付き続けている。
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1266.DNAが本当の意味で解読された。新たなゲノム配列に基づき並べていくと一つの小説が現れ、それは当人の現在過去未来を綴った完璧な予言の書だった。これにより科学者が占い師の役割を担う様になったのだが、その後産まれたある新生児のDNAに、新しい創世記が書かれていた事は知られていない。
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1267.林檎の香りが満ちる夜に黒猫は、愛さなければならないものを思い出していた。顔も知らない母親と、今朝食べたお魚、動かない蝉、梅雨明けの水溜まり、明け残った白い星。一つ一つ数えては、愛していると告げてゆく。実はそれらは全て寂しい別れだったのだが、黒猫は愛する事以外何も知らなかった。
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1268.その棺桶には一輪の百合が入っていた。「透明人間なんです」と親友だと言う喪主が慣れたように困った顔でそう言った。一時間後、火葬扉を開けると嗅いだ事のない優しさに似た香りがして、彼は何もないトレイからそれだけを掬い取るとその骨壺を抱きしめた。きっとこれは彼らの、初めての抱擁だった。
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1269.空腹で目覚めキッチンへ行くとドーナツのおばけがいた。シーツを被ったそれは音もなく気紛れそうに浮いており、成程と察した私はドーナツを作る事になった。生地を混ぜて輪っかにし、揚げたら粉砂糖をかけ頂きます。気が付くともうおばけは居らず、空になった小さなマグカップ越しに朝日の暖かさが満ちていた。
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1270.偽物の三日月が降ったその夜、世界中の行方不明者数が過去最高を記録した。眠れない人、夜更かし者、名もない恋人達、上手に笑う誰か達を喪失した街は随分と空っぽだ。何者にもなれなかった私は留守番電話だけが続く履歴を眺めながら、彼らと一緒に神様も何処かへ行ってしまった事に気付いていた。
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