高校一年生の夏休みの話だ。
私とは別の高校に進学した村田と、久しぶりに会った。高校デビューをしてチャラついた村田をひとしきりからかった後、こんな話を聞いた。
「ヒシマさん」という、村田の通う高校に伝わる、怪談である。
「ヒシマさんの怪談を聞くと、ヒシマさんがやってくる」という、「カシマさん」の亜流のような話で、それ自体は目新しいものではない。
珍しいな、と思ったのは、「ヒシマさんは怪談を聞いた人間のところにやってくるが、なにもしてこない」というところだった。
「ヒシマさん」は、常に怪談を聞いた人間の視界に立っているだけ。それも、常に背を向けた状態で立っているのだそうな。だから「ヒシマさん」の顔を見たことのある人はいない。目撃情報はすべて、後ろ姿のものだけだ。
ただ立っているだけなのだから、無害といえば無害なお化けである。
しかし「いつ現れるか」「いつまでつきまとわれるのか」がはっきりしていないそうで、もしかしたら一生、視界の端に立つ「ヒシマさん」の後ろ姿に悩まされるのかもしれない。
人によっては、かなりストレスになりそうな話だった。
「何代か前の先輩にさ、駅のホームから女の人を突き落として捕まった人がいたんだよ」
「へえ」
「その人は警察に「あれはヒシマさんだ」「ずっとつきまとわれていた」って話したんだって。──もちろん、被害にあった人は「ヒシマさん」なんかじゃない。県外から出張に来てた会社員だった。それを先輩は、「ヒシマさん」だと思い込んで突き落としたんだってさ」
「嫌な話だな」
「うん、嫌な話だ」
「……「ヒシマさん」って、どういう見た目なんだ?」
「紺のスーツで、髪の長い女の人」
「どこにでもいそうだな」
「どこにでもいるんじゃないかな」
無関係の人を「ヒシマさん」だと誤認させる。
「ヒシマさん」の目的はまさにそれなのではないだろうか。
私はそんなことを考えて、空恐ろしくなった。
なんというか、ひどく人間的な悪意のようなものが感じられたのだ。
後ろ姿でしか現れないのも、なにもせずにただ視界に立つだけなのも、わざと誤認させようとしているように思える。
怪談というより、呪いに近いものを感じた。
嫌な話だな、と思った。
そもそもの発端である「ヒシマさんの怪談」について、村田は知らなかった。
「そんなの聞いたら、「ヒシマさん」が来ちゃうじゃん」
村田は心底嫌そうな顔で、そう言っていた。
確かにその通りだったので、私もそれ以上は調べていない。
お化けが出るならまだしも、自分が他人を襲ってしまうかもしれないような怪談など、聞きたくなかった。
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