オレンジ色の夜

私が小学4年生の夏休み、某田舎の祖父母が暮らす家に家族で泊まりに行きました。

時期的にお盆ということもあり、親戚も集まりみんなでその日夕食を食べていました。

ご飯を食べ終わり、私と妹、従姉2人たちは、2階の母親が使っていた部屋でゲームボーイのテトリスをしていました。

下からは親や祖父母、親戚の叔父の声が聞こえていました。


すると、従姉たちは、「のど乾いたから、下の台所で麦茶飲んでくるー」といい下へ行ってしまい私一人になりました。テトリスに夢中だったこともあり、時計を見ると午後8:45でした。しばらくして私も喉が乾いたので、下へ降りました。

するとリビングから声がないんです。「あれ?」と思い、台所に行くと誰もいない。

とにかく恐怖に駆られました。

落ち着こうと冷蔵庫にあった麦茶を飲み、1階の部屋を手当たり次第、家族たちを探しましたがやはり誰もいない。

「庭を探そう」と思い、玄関へ。

この時玄関に両親や私、妹の靴はなかったんです。

ただあったのは、祖父が煙草を庭で吸う人だったので、

そのサンダルだけがあり、それを履いて外へ出ました。


すると空がオレンジだったのです。

夕焼けでもない。夜の9時なのに。

そして停まっているはずの家の車、叔父の車、祖父母の車がないんです。

祖父母の家は分譲団地だったのですが、隣に家があるはずなのにないんです。

とにかく怖くて、また家に戻り、2階の母親の部屋に行きました。

ゲームボーイは動いたままで、とりあえず、心落ち着かせようと、またテトリスをはじめました。

しばらくすると階段から足音がしだしました。

ドドドド。

ガチャン!

部屋のドアが空くと、従姉がおり「あんたどこおったん?」と言いました。

私「いやいや、ずっと家におったし、みんなこそどこ行ってたん?」

従姉「は?何言うてんの?ずっと家おったし、玄関には靴あるし、なんでやろ?って不思議になりながら家周りをみんなで探してたんやで!心配させて!」

と怒られました。

そして、下のリビングへ行くと家族が集合。

どこへ行ってたのか問い詰められ、上のような事実を話すと皆「???何言ってるの??」と言われ、ガミガミ説教されました。

もちろん話しは信じてくれません。

唯一従姉が信じてくれました。

しかし、これはこれから起こるきっかけに過ぎなかった。云わば序章のような出来事だったのです。


そしてその日は、風呂に入って、寝ました。

そして翌日。何か別の世界に来たような、何か違和感を感じながら、私たち家族と従姉と海水浴場へ行きました。

そこで不思議に思った事が2つあったのです。

父が乗っていた車、レクサスのマークがないんです。

正確には、この時代にレクサスは存在していないのです。

シルバーのレクサスを乗っていたのですが、緑色のアリストを乗っていたのです。

そして、2つ目に母は大の洋楽好きで、車の中で映画トップガンのサントラ、ビリー・ジョエル、ミスター・ビッグなどを聞いていたのですが、クラシックのCDしか車にはなかったのです。正確には、ミスター・ビッグは、まだこの時代には存在していなかった。


まだまだ不思議な事がたくさんあります。

海水浴場へ行く道、見覚えのある道を通っていないのです。父に

私「あれ?いつもと違う道通ってる?」と言うと

父「いや、いつも毎年通ってる道やけど、なんで?○○(私の名前)忘れたん?」

と言うんです。そう。私が知っている風景と明らかに違うのです。

更にすれ違うナンバープレートは緑色。

確かにあのオレンジ色の夜を見るまではナンバープレートはオレンジ色だったのです。

もう私の頭はパニック状態。

そこに従姉から色々なんやかんや自分が住んでいる大阪について聞かれ、適当に答えていました。

海水浴場到着すると、母の言動や父の言動がこれまた少し違うのです。

この頃から両親が、本当の両親だけど今までと何か違う違和感を覚えていました。

そして従姉たち、祖父母たちの家から自分の家へ帰る途中。

これまた高速道路の風景が私が知っている場所ではない所から帰ったのです。

正確には私が小学1年の時、山陽自動車道が開通しており交通アクセスは便利になっていました。

しかし、帰りは中国自動車道の美作インターから乗って大阪方面へ行ったのです。

もう私はここで何かが確実におかしいという確信を持ちました。


違和感の続く中、夏休みが終わり、2学期の初登校前日。

私は基本的に宿題は先に終わらせて遊ぶタイプの人間だったので、ランドセルに宿題を入れる際、算数のページを見ると、

「あれ?この内容。3年生でやる範囲だ…」

そう、あのオレンジ色の夜までやっていたことと違う事になっていたのです。

何もかもあのオレンジ色の夜から不思議な事は起こり続けました。


あのオレンジ色の夜の事件から、私が知っている、覚えている事。家族、友人が知っている記憶が違う事が多々あるのです。

これは、私は、平行世界からやって来たのでしょうか。同じような経験されている方のアドバイスお願いいたします。

何十年も違和感を覚えて生きてきました。

最近、家を片付ける際、写真を見ていて、

母は、主にブルーの服を好んで着ていたのですが、写真を見ると、ベージュや黒ばかり。

父は設計士でスーツと作業着のイメージなんですが、写真では、私が見たことのない場所で、見た事のない色の服で私を抱いている写真があったのです。

今私は結婚し、子供も2人いるのですが、妻にこの事を話すと、笑い翔ばしてきます。

絶対記憶違いやわ。と。病院行くべきでしょうか。


後、阪神淡路大震災は、私が生まれる前、1980年、昭和55年にあったのです。小学校の防災訓練をした時に、校長先生が多く人がお亡くなりになったと、そう言ってました。

しかし、私が中学1年の時、1995年に阪神淡路大震災が起こって被災しています。

ずっと違和感でしかありません。

調べれば、調べる程、私の小さな頃の記憶と大きく違う事だらけなのです。

私が知っている事をまとめると。

・私の記憶では、父の車はシルバーのレクサスIS350 1991年にはレクサスは存在している。

また、ミスター・ビッグも存在している。

・1989年には山陽自動車道は開通していた。

・昭和55年に阪神淡路大震災が起こっている。

・所々、道や風景、商店の場所や名称が違う。

・両親の趣味志向が急に変わっている。

例えばサブカルチャー好きな母は、クラシックが好きになっていた。

・学校で習っていた範囲が大幅に違う。

・乳児期~小学3年頃まで、知らない所で撮影した写真が多い。

もちろんそれ以降は記憶にある写真ばかり。

・私はジャンプ世代なのですが、私が小学1年の頃にはシティーハンターが完結しており、母が全巻揃えていました。しかし、あのオレンジの夜以降、マンガ全てが家から消失しています。

WUNDERKAMMER

名作は、名作と呼ばれる理由があるはず。 それを求めて映画や本を観ています。 あとは奇妙なもの、怖い話や自分が好きなものをここに集めています。

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