小学校の3年のときの話です。
だから記憶があいまいなので、今、卒業アルバムを見ながら書いています。
クラス替えがあって、最初の担任が30代前半くらいの女の先生でした。
卒業アルバムは、当然ながら6年生のときの写真が中心なんですが、
その先生方の集合写真の中に顔が見えます。転任されていなかったのでしょう。
この先生は最初の9ヶ月くらいいて、それから産休に入られたと記憶しています。
代わりの担任として、湊先生という若い女の先生がこられました。
冬休み過ぎ、3学期のことでした。
いえ、学級崩壊などといったことはありませんでした。
わりとおとなしいクラスだったと思いますよ。
新しい先生に反発したということもとくにはなかったと記憶してます。
この湊先生は今にして思えばかなり変わった人でした。
低学年の担任はジャージを着ていることも多いと思うんですが、
いつも白いスーツで来られていたんです、
小さい子ども相手で汚れることも多いでしょうに。
それから、教室に大きな牛のヌイグルミを持って来られていました。
あの牛乳をとる白黒のホルスタインじゃなくて、薄茶色の牛なんです。
授業はあまり上手ではなかったと思います。慣れていないというか・・・
田舎だったので、産休の講師がおらず急になられたせいかもしれません。
体育の時間などはジャージに着替えておられましたが、
かなりとまどってる感じがしましたね。
それで、週一回学級活動の時間というのがあったんですが、
その内容がかなり奇妙なものだったんです。
さきほど話した牛のヌイグルミですが、座った形をしていて、
かわいいというよりリアルな感じの顔でした。
・・・何か考えこんでいるような顔といったらいいか。
もしかしたら先生の手作りだったのかもしれません。
大きさは小学3年生が座るより大きいくらいです。
名前は・・・湊先生は「ケンちゃん」と呼んでいました。
どういう字を書くのかはわかりません。
そのケンちゃんは、背中がジッパーで開くようになっていて、
中には綿が詰められていました。
その綿を取り出して、中に順番に生徒が入るんです。
1時間に3人くらいでしたけど。手足の先まできちんと入ることができて、
もしかしたら最初から着ぐるみだったのかもしれません。
入った子はケンちゃんを着たまま黒板の前の教卓に座って、
それに向かってみんなでお願いをするんです。
・・・最初は先生の合図で声をそろえて、
「世界が平和になりますように、この世の差別がなくなりますように」と言います。
さらにその後、一人一人が順番に願い事を言うんですが、ルールがありました。
個人的なお願いはだめなんです。
「おもちゃがほしい、足が速くなりたい」などの、
自分だけに得のあることは言ってはいけないことになってました。
これって3年生には難しいですよね。
だからみんな「戦争がなくなってほしい」とか、
同じようなありきたりの内容だったと思います。
一人が10分くらい入ってて、3人が体験すればだいたい45分授業は終わりました。
私ももちろん入りましたよ。すごい窮屈だったのを覚えています。
ケンちゃんは、外側はふわふわですが、中の布は固くて身動きがとれませんでした。
特に顔のまわりは詰め物が厚く入っているようで、
みんなの声が遠くでしているように聞こえました。
それから、目などの穴が空いているわけではないので、
外は見えず、息も苦しかったです。
みんなが願いごとを言ったら、ウンウンとうなずくことになっていました。
今から考えれば意味があるような、ないような授業ですよね。
もしかしたら学校の管理職に聞こえたら止められたかもしれません。
でも湊先生がいたのは短い期間だったし、
保護者の間で問題になることもなかったと思います。
3月になって、もうすぐ年度が終わるというときでした。
湊先生と過ごす最後の週に、またこの授業がありました。
その時間に3人がケンちゃんに入ると、クラス全員が体験をすることになります。
最後に入ったのは山田君という子で、男子の出席番号の最後尾です。
その子は、こう言ってはなんですがとても勉強のできない生徒で、
ほとんどものをしゃべらず友達もいませんでした。
表立ってイジメられているというわけではなかったと思いますが、
遠足などの班を決めるときに最後まで残ってしまうような子だったんです。
着ているものもいつも同じで、不潔な感じもありました。
その子がケンちゃんに入って、みんなで「この世の差別がなくなりますように」
と言ったとき、急に山田君が「うーっ」と叫んで立ち上がろうとしたんです。
でもケンちゃんの中は頑丈で立ち上がることができません。
そのまま前のめりに教卓から落ちました。
頭が床にあたるボコッという音が聞こえました。
着ぐるみの詰め物がなければ大ケガをしていたかもしれません。
そのまま床の上で、机やイスを弾き飛ばしてのたうち始めました。
「あじ、あぶう、あぶあ、あぶういい」と叫んでいるように聞こえました。
もし着ぐるみごしでなければ「熱い」と言ってたんじゃないかと思います。
あわてて湊先生が駆け寄り、
山田君のうつ伏せの足の上に載って強く背中を押さえ、ジッパーを開けようとしました。
びびびっという感じで、ジッパーの横の布が大きく裂けました。
そのすき間から両脇をすくうようにして山田君を抱き上げました。
山田君は小さかったのでひっかからずに出てきましたが、
そのときにはぐったりとしていました。
外面的なケガはなかったのですが、頭を打っているので、
先生が保健室に連れていきました。このとき、
山田君を抱きかかえた先生の顔に何ともいえない笑みが広がっているのが見えました。
とくに大したこともなかったようで、次の日からも登校してきたはずです。
湊先生はまもなく、みんなにお別れを言って学校を去られました。
そして春休みに入り、町のある地区で大きな火災が起きました。
十数件の家が燃え、死者が二桁にのぼりました。
その地区はごちゃごちゃした木造の家屋が密集しているところだったので、
被害が大きくなってしまったのだと思います。
その死者の中には山田君も入っていました。家族全員が亡くなったと記憶しています。
・・・これで私の話は終わりです。
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