そこはまるで、文字の森だった。
至る所に本や、ポスター、彼女が撮ったであろう文字の写真に、歌詞やアニメ、ドラマ、映画セリフ、人名・・・
壁一面に文字、言葉、フレーズ、文・・・
僕は今、とある蒐集家の家に来ている。
「・・・あぁ、こんにちは!ごめんなさいね、今映画に出てきたセリフを書きだしてて・・・」
「あと今からの会話、出来れば録音させてくれないかしら。
あぁ!別に悪い意味じゃないのよ。会話の中で素敵な言葉があったら逃したくないだけで・・・」
どうやら彼女は目に見えた言葉、耳に入った言葉すべてを重んじているようだ。
「集めだしたのはそうねぇ・・・。最初は夏目漱石からだったわ。
夢十夜の一夜目の、『百年はもう来ていたんだな』ってフレーズがね、
待ち焦がれると反対の、愛しているから百年なんぞ一瞬っていう・・・
素敵・・・そう素敵だったの。だから常に身近にあって欲しかったのよね」
「それから言葉に注目していって・・・あとは・・・ふふ・・・
銀河鉄道の夜の鳥捕りのセリフかしら。
『真っ白な、あのさっきの北の十字架のように光る鷺のからだが、十ばかり、
少しひらべったくなって、黒い脚をちぢめて、浮彫のようにならんでいたのです』
味の説明も何もないのに、何故か甘くて美味しそうだと思わない?」
「あとは・・・あぁ、そうねぇ。見てもらった方が早いわね。
・・・私のとっておきの蒐集品よ」
そういって連れて行ってくれた部屋には、壁が棚に覆われており、
その棚には丁度CDケースのように透明な平べったいものが収納されていた。
「これはね・・・」
彼女がスッっと一つ取り出す。
それは、小さなガラスのクリアケースに入った言葉たちだった。
『死が勝利するのです。
人はいつか死ぬ。星は惑いながら巡り、時は無差別に過ぎ、川は行方も知らず流れる。
死だけは残酷なまでに確か』
「コレは映画『ノスフェラトゥ』ね」
『春雨じゃ、濡れて行こう』
「これは『月形半平太』の名ゼリフね」
『心臓と心臓のキッスよ。』
「あぁ・・・これは夢野久作の『支那米の袋』だわ」
これは・・・あれは・・・
彼女はまるで、自分の子供のアルバムでも見るかのように語り出す。
説明は短いが、言葉に重みがある。
「ここに私が出会った言葉、セリフ、文字すべてが収納されているの。
こうやって引き出して眺めるたびに『愛しい文字よ、こんにちは』って。
『今日は良い天気よ、貴方を読むのにピッタリだわ』って・・・。
今誰かが、私が読んでいる文字と同じ文字を読んでいるかもしれない。
そう思うと『読んでくれてありがとう』『貴方にも、私がこの文字と出会った時のような感動がありますように』と、そう、思うのよね」
「・・・・・・あら、良い言葉!やっぱり録音していてよかったわ。
貴方の今の言葉、コレクションに入れさせてね。」
読むことでしか得られない幸せがあり、文字と触れ合うことでしか感じられない愛がある。
「『左様ならば、貴方に幸多からんことを』」
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