おれの田舎は四国。 詳しくは言えないけど、 高知の山のそのまた山深い小さな集落だ。
田舎と言っても、 祖母の故郷であって親父の代からずっと関西暮らしで 親類縁者も殆どが村を出ていたため、長らく疎遠。 おれが小さい頃に一度行ったっきりで、 足の悪い祖母は20年は帰ってもいないし、取り立てて連絡をとりあうわけでもなし。とにかく全くといっていいほど関わりがなかった。
成長したおれは免許を取り、 ぼろいデミオで大阪の街を乗り回していたのだが ある日、どこぞの営業バンが横っ腹に突っ込んできて あえなく廃車となってしまった。
貧乏なおれは 泣く泣く車生活を断念しようとしていたところに例の田舎から連絡が入った。 本当に偶然、 近況報告みたいな形で電話してきたらしい。
電話に出たのは親父だが、 おれが事故で車を失った話をしたところ 車を一台処分するところだった、 なんならタダでやるけどいらないか? と言ってきたんだそうだ。
勝手に話をすすめて、 おれが帰宅した時に 「あたらしい車が来るぞ!」 と親父が言うもんだからびっくりした。
元々の所有者の大叔父が歳くって 狭い山道の運転は危なっかしいとの理由で 後日ほんとに陸送で車が届けられた。
デミオよかダンチでこっちの方がぼろい。やって来たのは古い古い71マークⅡだった。
それでも車好きなおれは逆に大喜びし、 ホイールを入れたり 程良く車高を落としたりして 自分の赴くまま遊んだ。 おれはこのマークⅡをとても気に入り、 通勤も遊びも全部これで行った。
その状態で二年が過ぎた。 本題はここからである。
元々の所有者だった大叔父が死んだ。
連絡は来たのだが、 一応連絡寄越しましたみたいな雰囲気で 死因を話そうともしないし、 お通夜やお葬式のことを聞いても 終始茶を濁す感じでそのまま電話はきれたそう。 久々に帰ろうかと話も出たのだが、 前述の通り祖母は足も悪いし 両親も専門職でなかなか都合もつかない。 もとより深い関わりもなかったし 電話も変だったので、その場はお流れになったのだが、ちょうどおれが色々あり退職するかしないかの時期で暇があった。
これも何かのタイミングかと、 おれが一人で高知に帰る運びとなった。
早速、 愛車のマークⅡに乗り込み 高速を飛ばす。 夜明けぐらいには着けそうだったが、 村に続く山道で深い霧に囲まれ、 にっちもさっちもいかなくなってしまった。 多少の霧どころじゃない、 マジの濃霧で前も横も全く見えない。 ライトがキラキラ反射してとても眩しい。
仕方なく車を停め、 タバコに火をつけ窓を少し開ける。 鬱蒼と茂る森の中、 離合も出来ない狭い道で 暗闇と霧にまかれているのがふっと怖くなった。 カーステを絞る。 何の音も聞こえない。 いつも人と車で溢れる大阪とは違い、 ここは本当に静かだ。
マークⅡのエンジン音のみが響く。
ア‥‥
…何か聞こえる。なんだ?
ア‥‥アム‥‥
なんだ、何の音だ?
急に不可解な、 こどものような高い声が どこからともなく聞こえてきた。 カーステを更に絞り、 少しだけ開いた窓に耳をそばだてる。
ア‥アモ‥ア‥
…声が近付いてきている。 尚も霧は深い。
急激に怖くなり、 窓を閉めようとした
「みつけた」
身体がカキンコキンに強張った。 なんだ今の声。 左の耳元で聞こえた。
外じゃない。 車内に何かいる。
ア…ア……ア…
こどもの声色だ。 はっきり聞こえる。 左だ。 車の中だ。
アモ…アム…アモ…
なんだ、何を言ってるんだ。 前を向いたまま、 前方の霧から目をそらせない。 曲面のワイドミラーをのぞけば、 間違いなく声の主は見える。 見えてしまう。 やばい。見たくない。
『アモ。』
左耳のすぐそばで聞こえ、 おれは気を失った。
「おーい、大丈夫かー」 外から知らんおっさんに呼び掛けられ 目を覚ました。 時計を見ると八時半。 とっくに夜は明け、 霧も嘘のように晴れていた。 どうやら後続車が おれが邪魔で通れないようだった。
「大丈夫、すぐ行きますんで…すみません」 と言ってアクセルを踏み込む。 明るい車内には もちろん何もいない。 夢でも見たかな、 なに言ってんだかさっぱり意味わかんなかったし。 ただ、 根元まで燃え尽きた吸殻が フロアに転がってるのを見ると、 夢とは思えなかった。
到着したおれを 大叔母たちはこころよく出迎えてくれた。 電話で聞いていた雰囲気とはうってかわってよく喋る。 大叔父の葬式が済んだばかりとは思えない元気っぷりだった。
とりあえず線香をあげ、 茶を淹れていただき会話に華をさかせる。
「道、狭かったでしょう! 朝には着くって聞いてて全然来ないもんだから、崖から落ちちゃったかと思ったわ!」 「いやーそれがですねえ、 変な体験しちゃいまして」 今朝の出来事を話してみたが、 途中から不安になってきた。
にこにこしていた大叔母たちの表情が 目に見えるように曇っていったからだ。
「モリモリさまだ…」 「まさか…じいさんが死んで終わったはずじゃ…」
モリモリ?なんじゃそりゃ?
「…あんた、もう帰り。 帰ったらすぐ車は処分しなさい」
なんだって? こないだ車高調入れたばっかりなのに何言ってんだ! それに来たばっかりで帰れだなんて・・・・ どういうことか理由を問いただすと、 大叔母たちは青白い顔で色々と説明してくれた。
おれはモリモリさまに目をつけられたらしい。
モリモリとは、森守りと書く。 モリモリさまはその名の通り、 その集落一帯の森の守り神で モリモリさまのおかげで山の恵みにはことかかず、 山肌にへばりつくこの集落にも 大きな災害は起こらずに済んでいる。
ただしその分よく祟るそうで、 目をつけられたら最後、 魂を抜かれるそうだ。 魂は未来永劫モリモリさまにとらわれ、 森の肥やしとして消費される。 そういったサイクルで、 不定期だが大体20~30年に一人は 地元のものが被害に遭うらしい。
と言っても 無差別に生贄みたいなことになるわけではない。 モリモリさまは森を荒らす不浄なものを嫌うらしく、 それに対して呪いをかける。 その対象は 獣であったり人であったりさまざまだが、 とにかくいらんことした奴に姿を見せ、 こどものような声で呪詛の言葉をかける。
姿を見た者は三年とたたずとり殺されてしまう。 (おそらくアムアモうなっていたのが呪詛の言葉?) 流れとしては、 山に対し不利益なものをもたらす人間に目をつけ、 呪いという名の魂の受け取り予約をする。 じわじわ魂を吸い出していき、 完全に魂を手に入れたあとは それを燃料として森の育成に力を注ぐ。 そういう存在なのだそうだ。
今回の場合、 大叔父が二年前にいかれたらしい。 それもあのマークⅡに乗っている時に。
モリモリさまを迷信としか思っていなかった大叔父は、 山に不法投棄している最中に姿を見たそうだ。 ほうほうのていで車を走らせ逃げたそうだが、 ここ最近は毎晩のようにモリモリさまが夢枕に立つと言って、 ある日大叔母が朝起こしに行くと心臓発作で死んでいた。
だが、大叔父だけでなく 恐らく車も対象になっていたようで、 それに乗って山を通ったおれも祟られてしまった、 というのが大叔母たちの説明と見解である。
そんな荒唐無稽な話、 信じられるはずも無かったが 今朝の出来事を考えると 自然と身体が震え出すのがわかった。 何より大叔母たちの顔が真剣そのものだったのだ。
大叔母がどこかに電話をかけ、 白い服着た老婆が現れた。 聞くところ そいつは村一番の年長者で事情通らしいが そのババアも大叔母たちとだいたい同じような見解だった。
「どうにもならん、 かわいそうだが諦めておくれ」 と言い残しさっさと帰っていった。
おれが来たときの明るい雰囲気はどこへやら、 すっかり重苦しい空気が漂っていた。 「すまない、 おとうさんが連れていかれたから しばらくは大丈夫やと思ってたんやが・・・・」 すまない、すまないと みんなしきりに謝っていた。
まぁ勝手に来たのはおれだし、 怖いからそんなに頭を下げるのはやめて欲しかった。 大叔父が車を手放したのは 歳がうんぬんではなく 単純に怖かったのであろう。 そんな車を寄越した大叔父にむかついたが もう死んでるのでどうしようもない。
とにかく、 急にこんな話をまくしたてられても 頭が混乱してほとほと困ったが 呪詛の言葉をかけられた以上どうしようもないそうなので、 おれは日の明るいうちに帰ることになった。
何せ、よそものが出会った話は聞いたことがないそうで、 姿を見てない今のうちに関西へ帰って車も捨ててしまえば モリモリさまも手を出せないのでは、 という淡い期待もあった。 どうやら姿を見てないというのは幸いしているらしい。
大叔母の車に先導されて市内まで出、 そこで別れておれは一目散に関西へ帰った。
「二度と来ちゃいかん、 このことははよう忘れなさい」 大叔母は真顔だった。 帰ったあと、 すぐに71マークⅡは言うとおり処分し、 こないだあたらしく100系のマークⅡをおろした。 マークⅡが好きなんだなきっと。
信じてるかと言われたら 7割ぐらい信じてない。 家族にも話してみたし 親父は直接あっちと電話もしたそうだがそ れでも信じてないというか、 いまいち理解できない様子だ。 肝心の祖母はボケてきてどうにもこうにも。
気がかりなのは 村を出る道すがら、 山道で前を走る大叔母の車の上に乗っかって ずっとおれを見てた子供。
あれがたぶんモリモリさまなんだろうな。
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