わたしと彼女は友人である。
小学生の時、友人が多かったわたしとは対照的に、いつも一人ぼっちだった彼女に声を掛けたことが始まりだ。
話を聞くと彼女のお父さんは神父さんだという。 よく本を読んでいるなとは思ったが、それは子供用の聖書らしい。
「そういうの面白いの?」
そう聞くと今までとは打って変わったように興奮して話し始めた。 唖然としているとハッとして、
ごめんね、と困ったように微笑んだ。
彼女は変わっている。そうした好奇心と「1人は可哀想」「私が彼女を救わねば」という正義感から積極的に彼女と遊ぶことにした。
それから何年か経ち、私は高校生になった。
わたしは化粧をし、周りも化粧と香水と自己呈示の方法を探し求める、良くも悪くも明るく楽しい、今時な子達であふれている。
彼女は修道女になった。
静かな協会で神に祈りをささげている。
学校終わりには彼女の元へ行き、今日の出来事を話して帰るのが日常になった。
彼女はというと、協会にある美しい庭の手入れの話と「今日も神様に祈ったよ」そんな二言三言で一日の報告が終わってしまう。
「今日あそこに行ってきたんだ。今度はここ行くよ。そいえば学校でね…」
「私は、今日も祈ったよ」
世界はこんなにも騒がしく楽しいのに!
「お、おかしいよ!!」
「なんなの神様って!神様なんかさぁ!願い叶えてくれるわけじゃないし!
それに私だったらもっとあなたを自由にするよ!化粧も許すし、髪も染めていい。欲しい物なんでも買ってあげる。ミサも無くすよ!お肉だってなんでも食べていいし、お酒も飲もうよ!
一緒に沢山買い物しよ?夜中まで騒いでさ!大きくなったら旅行にでようよ!私だったらあなたをもっと楽しませてあげる!わたしなら!!
大体神様ってそんな、いるかどうか…!」
そこまで言って気が付いた。
私のこの正義には彼女に対する憐みがある。
居るかどうかも分からない神様に一生使える気でいるこの彼を愚かしんでいる。
私の正義には嫉妬がある。
私の方が彼女に喜びを与えられるのにこちらを見てくれないから。
しかし 、居るかどうかわからない神様を一生通して使えるというのは生半可な気持ちではとても務まらない。 もしかしたらわたしが思っている以上に、彼女の中の存在は大きいのかもしれない。
そんな彼女の大切な神様を否定してしまった。
それに、神様を否定して自分に誘い込むなんて、
そんなの悪魔と一緒じゃない!
口から出た言葉を取り消すことはできない。
頭に上った血が一瞬にして下がっていくのがわかる。 罪悪感と自分の汚さに震え、恐る恐る彼女の顔を見ると、
あの時と同じ聖女のような、困った顔をして微笑んでいた。
視界が歪む。
あぁ、この騒がしい世界のどれよりも美しい。
この時、わたしは彼女の事が好きなんだ、と気が付いた。
0コメント