小学校5年生の頃、私が祖母の家に遊びに行った時の話。
当時は夏休みになると祖母の家に何週間も泊まりに行くのが定例となっていて、地元の子供達とも夏休み限定の友人として結構打ち解けていた。
その年も友達との再会に心躍らせ、例年通り朝から晩までそいつらと遊ぶ生活を送っていた。
主な遊び場は祖母の家の裏手にある山で、いつも走り回っていたのを憶えている。
その日も私は友達と山に登り遊んでいた。
お昼になったので一旦家に戻り、午後はその山の中腹にある神社に集合する事になり、私も家に帰った。
私は昼食を物凄い勢いで流し込むと、午後の集合場所に急いだ。
神社に向かって山道を進む途中、小さな獣道のような道が目に付いた。
山の斜面に垂直に伸びる道は、一直線に神社の方へと伸びていて、近道になってるのかな…と思った私は、その道を通ってみることにした。
獣道を進んで行っても、一向に神社に出る気配が無い。
いつもの道を進んでいたとしても、とっくに神社に着くだけの距離は歩いているはずなのに。
不安になった私は走るようにその道を抜けて行ったが、それでも道は一向に開ける様子が無く、私はもう半泣き状態だった。
暫く歩くと水の流れる音が聞こえた。
きっと、いつも水遊びをしている小川だ…。
やっと知っている場所に出られると思った私は、小走りに歩を進めた。
すぐに道が開けて小川に出たものの、知らない場所だった。
私はこの恐怖から開放されると信じていた希望を打ち砕かれ、そこで泣き出した。
暫くメソメソと泣いていたが、ふと川の向こう岸に女の人が立っているのに気が付いた。
透き通るように肌が白く、とても綺麗な人だったのを覚えている。
その姿を確認した時には、私はその女の人に向かって走り出していた。
しかし、その人はするすると奥の方へ歩いて行ってしまう。
いくら走っても追い付けない……。
私は置いて行かれるのが嫌だという一心で、ひたすらその人の後を追い掛けた。
そうしている内にパッと道が開けて、小さな集落に出た。
その集落はもう人が住んでいないらしく、どの家も廃屋となっていて、酷いものになると屋根が崩れ落ちている家さえあるようだった。
女の人はその集落の入り口に立ち、私が追い付いて来るのを待っていた。
私はその人にしがみつき、わんわんと泣き出した。
どうして置いて行っちゃったの…と。
その女の人はニコッと笑顔向けると、私を抱き締めた。
気が付くと辺りは暗くなっていた。
どうやら私は廃屋の中に居るらしかった。
目の前には女の人の顔。
私は膝枕をされた状態で眠っていたようだった。
「僕、寝ちゃってたの?」
にっこりと女の人が頷く。
この人に僕のママになって欲しい、と思った。
女の人は、私の髪を何度も優しく撫でてくれた。
私はその女の人に体を預け、とても幸せな気分に浸っていた。
何となく自分は、ずっとこの人と一緒に居るのだと感じた。
暫くして、その女の人の顔が少しずつ苦しそうになっていることに気が付いた。
お腹が痛いのかな…などと思っていると、唐突に女の人の腕が落ちた。
びっくりして顔を上げると、女の人の顔はグチャグチャだった。全身に蟲が沸いていた。
私は叫び声を張り上げ、全力疾走で廃屋を飛び出した。
後ろから追い掛けて来る音と共に、
「待って!!」
と言う声が聞こえたような気がした。
それからどこをどう歩いたのかも覚えていない。
気が付くと獣道を下っていた。
少し道を進むと、神社の裏手に出た。
もうすっかり夜だと思っていたのに、まだ夕方だった。
『立ち入り禁止』の札の下がったロープを跨いで神社に出ると、祖母の家に帰った。
泣きながら事情を説明すると、いきなり祖父に怒鳴られた。
訳も解らずにいると、祖父は家の中の祖母に向かって、
「大変だ。坊さん(私のこと)がヤマっ様に魅入られたぞ!!」
大慌てで奥から祖母が飛び出て来た。
その後、私は家の外で祖父に髪を全部刈られ、坊主にされた。
泣いて嫌がったが、祖父は聞く耳を持たず、ずっと険しい顔をしたままだった。
その後で祖母に塩を掛けられ、やっと家に入ることが出来た。
そして、
「二度と一人で山道に入らないように」
ときつく言われた。
私は女の人の見せた悲しそうな声が忘れられず、会って謝りたいと思っていたが、祖父が怖かったので結局山には近付かなかった。
補足 -1-
何でも山に魅入られると後ろの髪を引っ張られるから、坊主にするそうです。
このままでは神隠しに遭ってしまうとの話でした。
ちなみに私の母はこの時既に亡くなっていましたが、この女の人とは全く似ても似つかないです。
何故ママと思ったのかは解りません。
何年かしてその山にまた行った時、例の獣道を登ってみたらすぐに神社に出ました。
ちなみに、神社の裏の立ち入り禁止の道の方も登ってみたけど、原っぱに出ただけでした。
もう二度と会えないんだな…と子供心に思い、少しだけ爺さんを恨みました(笑)。
補足 -2-
祖父母の家には昔、座敷童が居て、父が小さい時に一緒に遊んだと語っていました。
私は見たことはありません。
父は私の話を聞き、
「童でなくなり家に居られなくなった座敷童が、昔遊んだ自分(父)に似ているお前を呼んだのではないか」
と語っていました。
何だか唐突だな、童でなくなった座敷童って何だよ…と思っていたら、酒の勢いでとんでもない事を暴露しやがりました、あの親父(笑)。
酒の勢いもあったのだろう。父はいつになく饒舌だった。
しかしその内容はあまり軽い話ではなかった。
父は以前、
「お前が山中で邂逅した女性は、自分が昔遊んでいた座敷童ではないか」
と言っていた。
その座敷童との思い出だった。
不思議なようで、それでいて何の変哲も無い子供の頃の思い出話にも聞こえた。
今では懐かしい、昔ながらの遊びをしたそうだ。
問題はそこではない。遊んでいる分には良いのだ。
いや、ひょっとしたら遊びの一環だったのかもしれない。
子供の好奇心からなのか、単にませていたのか、愛し合ってしまったのかは知らないが、とにかくそう言った関係になってしまったらしい。
その後も暫く少女は現れていたらしいのだが、ある日ぱったりと現れなくなったそうだ。
父は大層落ち込んだそうだ。
その話を『このエロ親父が』などと思いつつ聞いていた私だが、父が私の不思議な体験とその少女と結び付けたがるのも解る気がした。
父にとって掛け替えがないのと同時に、悔やまれる思い出なのだろう。
私は考えた。
父の言う通り、あの女の人がその時の座敷童なのだろうか。
暫く考えて、私はその説は認められないと思った。
もし本当にあの女性が件の座敷淑女だったとしたら、嫌な仮説や想像が浮かび上がって来るからだ。
一人であんな廃墟に居たのも、あの崩れ落ちた腕も、父との事のせいではないか?
父の言う通り、彼女は私が父に似ているから近付いたのか。
もしかしたら、ただ自分の子供に会いたかっただけなのではないか?
私の中に、何か得体の知れない縁が潜んでいるのではないか。
何より洒落にならない事に、私は彼女をママと認識した。
そして、もしそうだったとしたら、あの時逃げ出してしまった私を見て何を思ったのか。
あの崩れ落ちる前に見せた、必死に何かを我慢するような苦しそうな顔。
すがるように後ろから届いた「待って!!」という言葉。
全ての後味が何倍も悪くなる。悔やんでも悔やみ切れなくなる。
会って言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、その道も絶たれてしまった。
私はあの女性は、山の神様か何かではないかと考えている。
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