15世紀始めのイギリス、リプリー村で生まれた。
ローマやオランダ、ルーヴァンなどを放浪し、そこで錬金術やいろいろな学問を学んだという。その後、ギリシアのロードス島に渡り聖ヨハネ騎士団に入団した。
そして少なくとも1471年にはアウグスティノ修道会に入りイギリスに帰国した。
彼は帰国後も錬金術の実験を続け、記録では彼の実験室から出る科学実験の煙に周辺の住民から抗議されたという話が残っている。
1490年に亡くなった。
彼の死後も名声、そして奇妙な噂は続いた。
奇妙な噂とは聖ヨハネ騎士団に多額の寄付金を送り、財政的に支援をしていたが、そのお金は錬金術によって作られたものだというものだ。
リプリーの執筆したもので「賢者の石について、あるいは不死鳥について」
「錬金術の精髄」「リプリースクロール」「錬金術概要」などがある。
その「錬金術概要」の中に「12の門」という話があり、その中に「幻視」という短い文がある。
「彼の幻視に一匹の赤いヒキガエルが出現し、それはワインを飲み、内臓が煮汁でふくらみ破裂した。そして毒液を出し、苦しみもがき、全身が腫れあがった。そのカエルは毒液を流しながら秘密の巣穴に逃げ込んだ。またたくまに巣穴は蒸気で白く染まった。
すると、黄金の液が滴り落ち、大地を赤く染めた。そして、瀕死のヒキガエルは石炭のような黒い色に染まった。そして、このカエルは己の毒液の中で溺れ、84日間ものあいだ腐っていた。
そこで私は、その毒を除去してやろうと考えた。そこで、カエルの死体を穏やかな火にかざした。すると、カエルの体の至る所に奇妙な色をした穴がブツブツと現れた。そして、全ての色が消えてしまうと、白くなり、やや赤みを帯びてはいるものの、ずっと白い状態が続いた。
そこで私は、この毒から薬を作った。この薬は毒消しの効果がある。
かかる秘密の作業を授けてくださった神に栄光あれ!」
このヒキガエルの有様は賢者の石発見に至るまでの過程を示したものだという。
このヒキガエルは「金」の象徴であり、ヒキガエルの変化は
『暇焼、溶解、分離、結合、腐敗、凝固、補給、昇華、発酵、高揚、増殖、賢者の石の生成と投入』という錬金術の作業を示したものと言われている。
こうして作られたもっとも純粋な「金」こそが賢者の石ではないか、と推測されている。
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